女性の雇用はいつから始まった? 「30歳定年」から「女性活躍推進法」まで


女性の社会進出が注目される昨今、共働きの世帯数は約1240万世帯と40年前の2倍以上に上昇しました(2020年)。しかし、現実に目を向けると、女性と男性の雇用条件は決して同じではありません。男女の雇用が不均衡となっている背景には、どのような事情があるのでしょうか。
 
「女性も働くことが当たり前の社会」になるまでの経緯について、女性労働協会の会長を務める岩田三代さんにお聞きしました。

 
 

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そもそも女性はずっと働いていた


――いわゆる昭和の家族像といえば、「会社員の夫×専業主婦」という構成が主流でした。そもそも「働く女性」はいつ頃から誕生したのでしょう。
 
「働く女性」についての議論が近年は活発ですが、まず大前提として女性は昔からずっと働いてきているんです。戦前は農業・林業・漁業などの第一次産業が中心でしたから、女性は働き手として必要不可欠な存在でした。
 
「雇用されて働く」女性が目立つようになったのは明治以降です。大きなところでいえば繊維産業などの軽工業の分野です。製糸場の女工たちに代表されるように、1930年代前半までは工場労働者の過半数は女性でした。
 
第一次大戦後の1920年代に入ると、産業化の進展によって新しい職業がどんどん生まれました。タイピスト、電話交換手、事務職、百貨店の店員など、都市部ではいわゆるオフィスで働く女性の数が爆発的に増えます。「職業婦人」という言葉が生まれたのもこの頃です。
 
――女性はずっと働いていたが、働き方のバリエーションが増えてきた、ということですね。
 
そうです。さらに、日本が太平洋戦争に突入すると、戦地へ行った男性たちに代わって、女性たちは労働力として一層期待されるようになります。
 
戦後すぐに、政府は復員した男性の職場を確保するため女性を「家庭復帰せしめ」る方針を打ち出しますが、労働力不足に直面し、1946年には政府が女性労働者の積極活用を打ち出しました。焦土と化した都市部の復興には1人でも多くの労働力が必要でしたから。1950年代半ばから高度経済成長期が始まると、労働力の不足を補うために、農村から都市部へ人口の大移動が起きました。そうした流れの中で庶民の生活は豊かになり、一人の稼ぎでも生活できるようになっていきます。
 
やがて1960年代頃になると、三歳児神話(※1)の影響などもあり「母親は家庭に帰れ」という風潮が強まっていきます。女性が働くのはあくまで結婚まで。結婚後は夫を支え、家事・育児をすべし、という性別役割分業が強固になりました。専業主婦が大量に誕生したのはこの頃です。
 
※1 「子どもが3歳になるまでは母親が家庭で子育てをするべき」という考え方
 
――家事や育児を担うことは、「働いている」とはみなされなかったのでしょうか。
 
当時、専業主婦は一種の贅沢な生き方と捉えられていました。姑や舅(しゅうと)の面倒を見て、農業などの家業に従事し、家事育児も一手に担う農村の嫁の重労働な日常と比べれば、都会の専業主婦が「三食昼寝付き」の気楽な稼業に見えたのも無理はないでしょう。
 
しかし、家事育児労働は労働市場においてはまったく評価されませんがアンペイドワーク(無報酬労働)という働きにあたり、きちんと評価されるべきです。ただ、専業主婦は世間的には「○○さんの奥さん/お母さん」としか見られないし、子どもが成長すればやりがいは失われます。子どもの手が離れたらパート労働に出る専業主婦も多くいましたが、世間的な地位はずっと低いままで、高収入も見込めません。このように、多くの女性は人生の生きがいを自分で見つけることが難しい状況に置かれていたのです。
 
少数派だった働き続ける女性たちにとっても、非常に厳しい時代でした。どんなに働いても男性のようには昇進できず、与えられるのは単調な仕事ばかりで、給与も上がらない。多くの企業は結婚を理由に女性に退職することを課していましたし、男性の定年は55歳でも女性の定年は30歳、というように性別で定年制が異なる企業が多数派でした。

 
 

男女雇用機会均等法によるかりそめの平等


――働く女性にとっては寿退社が既定路線とされていたのですね。その後はどのような変化が起きたのでしょう。
 
1970年代にはアメリカから始まったウーマン・リブ(女性解放運動)の影響や、「国連婦人の10年」をきっかけに、日本でも「女性も男性と同じ権利を得られるべきだ」と主張する運動が起き始めます。その過程で「雇用分野においてこんなに男女差があるのはおかしい」という声が内外で高まり、1985年には男女雇用機会均等法(以下、均等法)が制定されました。
 
均等法は雇用のあらゆる分野で男女差別をなくそうという狙いで制定された法律です。ところが、多くの企業がこれに大反対したため、当初は募集・採用・配置・昇進という肝心な部分が、努力義務規定でしかなかったんですね。つまり、守らなくても罰則はなかった。
 
とはいえ、大手企業にとって法律に背を向けることは社会的評価を下げかねない。そこで企業側がひねり出したのが、コース別人事制度です。つまり、「総合職」「一般職」と採用の時点でコースを分け、それまで男性たちが担ってきた昇進できる重要な仕事は「総合職」に、女性たちが担ってきた補助的な仕事は「一般職」とする仕組みです。選ぶ際の大きな基準が転勤の有無でした。
 
また、「男と同じように扱ってほしいなら女も男と同様に働くべきだ」という企業側の主張を受けて、「深夜労働の禁止や残業の制限」などに代表される女性に対する保護を撤廃・縮小する動きが進みます。これらは繊維産業の時代から続く過酷な労働状況下で妊娠・出産した女性を守るために、女性たちが獲得してきた権利だったのですが、90年代の改正によって多くが廃止されてしまいます。
 
つまり、結婚して子育てをしようと思ったら、女性はどうしても「総合職」を選びづらい仕組みができあがってしまったのです。派遣社員やパートタイマーという働き方が広がった背景には、こうした事情も関係しています。
 
――子育てや介護など家庭のケア労働を担うことを求められた女性たちには、働き方の選択肢が限られていた。「働きたい女性は働けばいい」という単純な問題ではなかったのですね。
 
そうですね。こうした流れや派遣労働法が制定されたことによって、次第に総合職・一般職・派遣社員・パートタイマーという待遇によって給与に差があるヒエラルキーが生まれていきました。人手不足が解消されたらすぐに契約を解除できて、企業側の都合で管理しやすい派遣やパート労働者は、企業にとっては非常に都合がよかったのです。こうした雇用制度の違いは、日本においては今も男女の賃金格差の大きな原因となっています。

 
 

女性が活躍できない企業はもう生き残れない


――2015年の女性活躍推進法を皮切りに、近年は政府が「女性活躍」を積極的にスローガンに掲げています。変化の背景には何があるのでしょう。
 
様々な要因が絡まり合っていますが、一つは総合職で頑張ってこられた女性たちの数が増えてきたことです。「有能な女性もたくさんいるんだ」「女性だって管理職になれる」という認識が草の根レベルで広がっていったことは大きいと思います。
 
日本のジェンダーギャップ指数(※2)の低さが大々的に報道されたことも一因でしょう。2021年は156カ国中120位という最低レベルでした。日本は諸外国の目を非常に気にする国ですから、外圧もプレッシャーになっているはずです。
 
とはいえ、最大の要因は労働力人口の減少でしょう。少子高齢化が進む日本では、生産年齢人口はどんどん減少し、内需は低迷していく一方です。このままでは激化するグローバル競争に勝ち残れない。生産性を上げていくためには人口の半分である女性の能力を活かす必要性がある、という認識を持つ企業が増えてきているのです。有能な人材に長く働いてもらうことは、どの企業にとっても業績を伸ばすための最重要課題ですから。
 
※2 国別の男女格差を数値化した指標
 
――女性に限った問題ではありませんが、パワハラ、セクハラなどのハラスメント防止の法整備が進んでいることも無関係ではなさそうです。
 
2021年6月に改正された育児・介護休業法も、男性の育児参加を促すことで女性の定着率を高めることが狙いです。企業として生き残っていくためには、女性が活躍できる風土づくりに本気で取り組まなければならない。そういった危機感を持つ企業が増えてきているといえるでしょう。

 
 
 

※記事内で取り上げた法令は2021年10月時点のものです。
 
<取材先>
一般財団法人 女性労働協会 会長 岩田三代さん
1952年、愛媛県生まれ。愛媛大学法文学部卒業後、日本経済新聞社に入社。女性労働、家族問題、消費者問題など幅広く取材し、日経新聞論説・編集委員を務める。2015年に同社退職。現在はジャーナリストとして活動する傍ら、実践女子大学で非常勤講師(女性の歴史)を務める。
 
TEXT:阿部花恵
EDITING:Indeed Japan + ノオト

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