まずは社内での解決を検討、難しければ社労士・弁護士へ
経営者・役員クラスが労働トラブルを起こしたとき、企業はどう対応するべきでしょうか。自社を存続させるために業績を維持しながらも、企業のレピュテーション(評判)を守る観点から、「法令違反の状態」を適切に解消することが求められます。労働基準法などの法令に詳しい人事労務担当者が先頭に立って動くこともあるでしょう。
「ハラスメント」や「コンプライアンス」に対する社会の目は、年々厳しくなっています。2020年6月に施行された「パワハラ防止法」では、社内に「従業員からのハラスメント相談に対応する窓口」を設ける措置義務も定められました。
こうした状況下で、経営者や役員クラスがルール違反をしている場合、黙認せずに然るべき対応を取る勇気も必要でしょう。でなければ、ゆくゆくは自社の存続すら危うくなるかもしれません。とくに中小企業は、取引先からの信用を失ったり、新しい人材の採用ができなくなったりする可能性もあります。
そのためにも、まずは自社と契約を結んでいる専門家に相談してみましょう。例えば、労務に詳しい「社会保険労務士」や「弁護士」は、社内トラブルに対して客観的な意見を述べられます。また、顧問契約を結んでいる「税理士」に相談するのも手です。相談を受けた税理士が、労働トラブルを解決できそうな知り合いの専門家を紹介してくれるかもしれません。
相談を受けた専門家は、「法令違反をしないための社内制度の見直し」や「法令違反によって不利益を被った従業員の状態を好転させること」に力を貸してくれるでしょう。一例として、労働基準法違反のなかでもよくあるのが「残業代の未払い」です。複雑なケースこそ、現場の担当者だけで判断すると泥沼化することも。類似の事例に基づく実務的なアドバイスが必要です。
労働トラブルを専門家に相談する場合は、先に情報をできるだけ整理しておきましょう。そうすれば、お互いに頭がクリアになった状態で、問題解決に近づけると思います。とはいえ実際は、「これは労働基準法に違反しませんか?」などの漠然とした相談に対して、専門家が質問しながら事実関係を確認していくことがほとんどです。
よって、相談の段階で、すべての情報を整理しておく必要はありません。最低限、「実際に起きたトラブルの5W1H(だれが・いつ・どこで・何を・なぜ・どのように)」を整理しておくだけでも対応してもらえるでしょう。
労働トラブルを未然に防ぐため、人事労務にできることは?
専門家からアドバイスを受けられるとはいえ、トラブルは未然に防ぐことがいちばんです。人事労務担当者には次の2つが求められます。
◆意識改革
経営者・役員クラスの意識改革のためによく活用されているのが、社会労務士や弁護士などの専門家が講師を務める、社内外の「研修」や「セミナー」です。例えば、管理職に必要な労務管理の基礎知識などを学んでもらおうと「労務管理研修」などを活用する企業があります。
こうした研修は1度きりではなく、定期的な受講の機会を設けましょう。そもそも、パワハラが当たり前の社内環境の中で出世してきた経営者・役員クラスのなかには、ハラスメントの問題点をあまり理解できていない人がいます。研修を繰り返すことで、何がいけないのか知ることが必要です。
◆制度設計
意識改革のほかにも、「労働トラブルを防止する社内制度」をつくりましょう。
例えば、社内にパワハラ・セクハラなどの「ハラスメント」を防止するための相談窓口を設けたり、就業規則に「ハラスメントの加害者は懲戒処分にする」と明記したりすることができます。取り組みを紹介するポスターを社内に掲示するなどして、社員教育を進めましょう。
ただし、このような制度設計をしたとしても、ハラスメントやコンプライアンスに対する意識は薄れていってしまうものです。そこで、定期的に労務管理研修などを実施して、意識と情報をブラッシュアップさせていくことが、労働トラブル防止には効果的です。
それでも難しいときは、労働者の立場で動くことも考える
専門家からの助言やトラブル防止策を講じても、経営者の振る舞いが改善せず社内の状況が絶望的であれば、いち労働者の立場で動くことを考えてはどうでしょうか。
従業員を酷使し、健康問題などの被害が出ているにもかかわらず、見て見ぬ振りをする経営者も残念ながらいると思います。その場合、人事労務担当者が社内でどれほど働きかけても、改善を見込めない可能性は高いです。
そんなときは、普段は企業側の立場で業務をこなす人事労務の担当者であっても、「従業員の一人」として、被害を申告している従業員に「労働基準監督署」や「労働局の相談センター」など外部の専門家への相談や、労災申請を勧めてみるという方法も考えられます。
◆労働基準監督署
労働トラブルの内容次第では、「労働基準監督署」に相談(内部告発)することができます。労働基準監督署(以下、労基署)とは、労働基準法に基づいて「労働条件」や「安全衛生の改善・指導」などを行なう、労働局が管轄する機関のことです。
労基署が対応するのは「労働基準法」「労働安全衛生法」「労働者災害保険法」の3つで、これ以外の相談は基本的に受け付けていません。この中から「解決しなければいけない緊急性が高い」と判断した相談を優先的に扱います。
相談できるケース:残業代の未払いや長時間残業など、労働条件が雇用契約とは異なる場合
労基署への相談の流れについて、「長時間労働の相談」を例にして解説します。
1.資料をそろえる
労働基準法に違反している状況を説明する必要があるので、「トラブルの根拠を示す資料」をできるだけそろえて、労基署に持参します。長時間労働の根拠を示したいのであれば、「就業規則」や「残業時間が分かるような資料」などです。
2.調査と指導
相談を受けた労基署が、相談内容と資料をもとに「調査の必要がある」と判断すれば、企業に調査を入れます。その結果、長時間労働の実態が明らかとなり、労働基準法違反だと認定されれば、労基署が企業に対して「長時間労働の状態を是正してください」と「是正指導」を行ないます。このとき、改善が望ましい事項がある場合は「指導票」を、労働基準法違反である場合は「是正勧告書」を用いて文書による是正指導がされることになるのです。
3.是正報告書の提出
是正指導を受けた企業は、「労働基準法違反の状態を是正したこと」を示す「是正報告書」を労働基準監督署に提出しなければなりません。にもかかわらず、是正指導を無視すれば、厚生労働省のホームページ上で「労働基準法違反のあった会社」として企業名が公表されてしまうのです。また、刑事罰もあるため、刑事裁判に発展することがあります。
◆総合労働相談コーナー
労基署で受け付けていない労働トラブルは、「総合労働相談コーナー」で相談できます。総合労働相談コーナーとは、各都道府県の労働局に設置された窓口のことです。専門の相談員が必要な手続きの説明やアドバイスを行ないます。
相談できるケース:ハラスメントや解雇、いじめ・嫌がらせなど、労働基準法違反ではないトラブル
例えば、中小企業で従業員が経営者から「明日から来なくていい」と言われた場合、その解雇が有効になるのかどうかの相談に乗ってくれます。(ただし、30日以上前からの解雇予告がない状態で解雇され「解雇予告手当」が支給されなかった場合、労働基準法違反になるので相談先は労基署です。)
総合労働相談コーナーへの相談の流れについて、「パワハラの相談」を例にして解説していきましょう。前提として、トラブルの被害を受けた本人が、総合労働相談コーナーに相談する必要があります。社内で経営者・役員クラスによるパワハラがあれば、相談するのはパワハラを受けた従業員(以下、被害者)です。
1.社内で相談
まずは、その被害者が社内に設置された「ハラスメント相談の窓口」や人事労務担当者などに、パワハラの事実を相談することからスタートします。企業側は被害申告に基づいて調査を行ない、調査結果に基づいた然るべき対応を取る必要があります。にもかかわらず、経営者が然るべき対応の指揮を取ろうとしなければ、被害者は総合労働相談コーナーに相談するしかありません。
2.資料をそろえて相談コーナーへ
被害者は「客観的な証拠」を揃えてから総合労働相談コーナーに向かいます。パワハラであれば、「怒号されている音声」や「罵倒された言葉が書かれたメール文章」などが証拠になるでしょう。その上で「どのような被害を受けたのか」を申告します。
3.解決策を探る
相談したからといって、企業に指導が入ることはほとんどありません。そもそも、ハラスメント問題は「加害者の上司を左遷させたい」「損害賠償を請求したい」など、被害者が最終的に何を求めているかによって解決策が異なります。民事紛争で解決することになりますが、労基署は民事不介入のため、紛争当事者間で話し合うことになるのです。
そのとき、総合労働相談コーナーが「あっせん」の窓口になってくれます。あっせんとは、紛争当事者のあいだに第三者が入り、具体的なあっせん案を示すなどして、円満な解決を図る制度のことです。そのほかにも、解決を支援する弁護士や労働組合などを紹介してくれることもあります。
トラブルが起きない自社環境が理想ですが、いち労働者である以上、人事労務の担当者だけでは解決できない問題もあるはずです。企業側の立場の業務を担っているからといって、無理は禁物。外部の専門家を頼ることで、社内での労働トラブルを解決し、従業員が円滑に働ける環境を整えていきましょう。
※記事内で取り上げた法令は2021年3月時点のものです。
監修:弁護士法人第一法律事務所東京事務所 藥師寺正典 弁護士
TEXT:流石香織
EDITING:Indeed Japan + ノオト