世界的なエネルギー価格の高騰や円安によって、日本でもインフレが起きています。総務省が2023年1月20日に発表した資料によると、2023年1月の消費者物価上昇率(生鮮食品を含む)は前年同月比4.3%でした。これは1981年以来、実に41年ぶりの上昇率です。中でも食料品やエネルギーといった、生活に欠かせない品目が軒並み値上がりしているため、毎日の生活を通して物価高を実感している人もいるでしょう。

企業はインフレの状況を踏まえ、賃上げ対応をすべきなのでしょうか。賃上げをする際の留意点もあわせて、うたしろFP社労士事務所代表で、社会保険労務士の歌代将也さんが解説します。

インフレによるコスト高と、賃上げの必要性との間で悩む経営者

物価が上がっていることを踏まえ、従業員の賃金を上げるべきか、いま多くの経営者が悩んでいるのではないでしょうか。労働力人口減少によって人手が不足し続けているうえに、インフレの要素が加わり、企業はこれまで以上に賃上げの必要性に迫られています。

その一方、製造業や物流業においては、物価高の影響で原材料費や各種コストが上がり、利益が圧迫されて業績が芳しくない会社も少なくありません。そのため、賃金アップと利益確保の間で揺れているケースも多いと思われます。

そもそも、賃金とは何のために支払われるものなのでしょうか。労働者は生活にお金が必要なので、働く対価として賃金を得ています。世の中の仕事にはそれぞれ賃金の水準がありつつも、労働者の立場としては、日々働いているにもかかわらず最低限の生活もままならない賃金しかもらえなければ、何のために働いているのか疑問を抱いてしまうでしょう。そのため、インフレになれば、賃上げしてほしいと労働者が思うことは当然です。

企業としては、自社の利益を確保できる範囲で、従業員が生活に困らない賃金体系にするのが妥当だと考えます。その前提として、日本の企業は、法律的にも慣習的にも、従業員を解雇しづらい状況にあります。心情的にも、従業員には長く在籍してもらいたい意識が強いので、従業員の生活が守られるだけの賃金は払うべきだと考える傾向があるように思います。

企業の経営面から考えても、従業員の賃金が低く、日常生活もままならない状態では十分に働いてもらえませんし、退職されてしまう恐れもあります。需要過多な職種であれば転職先も見つかりやすく、賃上げをしなければ従業員が他社へ移るリスクは大きくなるでしょう。

インフレの際に賃上げを検討することは、従業員がこれまで通りの生活ができ、仕事に支障をきたさずに働いて成果をあげてもらう観点から、従業員・企業の双方に意味があることなのです。

賃上げによる経営上のメリット・デメリット

企業が従業員の賃上げをすることは経営上のメリットがある一方、デメリットもあります。

◆メリット

・従業員のモチベーションが上がる

賃上げにより、従業員は「給与を上げてもらったから、仕事をもっとがんばろう」という気持ちになるでしょう。賃金を上げることは、従業員のモチベーションを高め、結果として業績が上向くことが期待できるのです。

・優秀な人材の採用・雇用維持がしやすい

多くの企業が人手不足と採用難に直面する中、従業員の賃金が高い企業には優秀な人材が集まりやすく、長く働いてもらうことにもつながります。日本でも、グローバル展開している大企業を中心に賃上げに踏み切っているのは、世界の優秀な人材を採用し、長く働いてもらいたい意図もあると思われます。

◆デメリット

・人件費が上昇し、利益が減少する

賃上げをすると人件費が上がり、利益が圧迫されます。賃上げによって赤字に転落してしまうのは本末転倒です。企業としては、経営に支障が出ない範囲で、従業員の採用や雇用維持、モチベーションアップの観点から賃上げを検討する必要があります。

なお、賃上げによって利益が減ると、株主から反発が起こるかもしれないとの懸念もありますが、こうした反発はあったとしても短期的なものだと思われます。中長期的に株を保有し、企業には長く成長し続けてほしいと考える株主であれば、賃上げによって従業員のモチベーションが上がり、業績が向上することを望んでいるのではないでしょうか。

賃上げの方法によって、企業経営に及ぶ影響は異なる

企業が賃上げを検討する際は、どのような方法があるのかを理解し、自社にとって最適な手段を選ぶことが重要です。

賃上げの方法としては、大きく「基本給を上げる」「賞与を上げる」「手当を付ける」の3種類があり、どれを選ぶかによって、その後の企業経営に与える影響が異なります。それぞれの特徴や留意点を詳しく解説します。

◆基本給を上げる

1つ目の方法は、基本給を上げるものです。基本給を上げた場合は、その従業員が退職しない限り、企業は賃上げの影響が続くことになります。日本企業では、特に基本給の賃下げをしにくい風潮があるので、一度基本給を上げたら、その金額を維持するか、さらに賃上げすることになるでしょう。

さらには、基本給を上げると、基本給をもとに金額を算出する残業代や社会保険料なども上がります。基本給を上げる際は、その影響範囲の大きさと長さを理解しておくことが不可欠です。

また、従業員に賃上げを伝える際、「物価が上がっているので賃上げをする」と強調しすぎないよう注意が必要です。従業員に「インフレが続いている限り、基本給も上がり続けると確約してもらった」と受け止められてしまう恐れがあるからです。賃上げの際は、従業員への伝え方も気をつけましょう。

◆賞与を上げる

中長期的な視点で経営に与える影響を抑えられるのが、賞与を上げる方法です。昨年はインフレをふまえて賞与を一時的に増やしたが、今年は落ち着いたので元の水準に戻す、といった対応が取りやすいためです。

また、賞与は残業代の計算に含まれないので、人件費全体への影響も限定的です。経営者にとっては比較的リスクが少ない方法といえるでしょう。

◆手当を付ける

給与や賞与ではなく、手当を付ける方法もあります。手当は賞与と同じく、インフレが収まれば止めやすい特徴があります。ただし残業代の算出には含まれるため、手当を上げれば残業代もアップする点を理解しておきましょう。

これらの特徴をふまえると、企業にとって最もリスクが少ない賃上げ方法は「賞与を上げる」であるといえます。ただし、賞与ではなく基本給を上げると、優秀な人材の確保やモチベーションアップといったメリットも得られやすくなるので、どちらが良いかは一概にいえません。財務・非財務の両面から、最適な賃上げ方法を検討してください。

国による助成金などの賃上げ支援策

賃上げをする中小企業向けには、国による各種支援制度があります。条件に該当する場合は、こうした制度の利用もぜひ検討してください。ここでは、2つの制度を紹介します。

◆業務改善助成金

生産性を向上するための設備投資等(機械設備導入や人材育成等)を行い、事業所内で最も低い賃金を一定額以上引き上げる場合に、要した費用の一部を助成するものです。助成率は時給の引き上げ額によって異なり、最大600万円まで支援が受けられます。

ただし本制度は、時給が都道府県別最低賃金から30円以内の従業員の賃金を引き上げた場合にのみ適用されます。また、10人以上の労働者の賃金を引き上げ、以下3つの要件のいずれかに該当する場合、「特例事業者」として助成上限額が拡大されます。

  1. 賃金要件:事業場内の最低時給が920円未満であること
  2. 生産量要件:売上高や生産量など事業活動を示す指標において、直近3カ月間の月平均値が前年〜3年前の同じ月に比べ15%以上減少していること
  3. 原材料費高騰などの外的要因によって、申請前3カ月間のうちいずれか1カ月の利益率が3%以上低下していること

◆中小企業向け 賃上げ促進税制

雇用者の給与等支給額における増加分の最大40%を、法人税(個人事業主は所得税)から税額控除できる制度です。給与等支給額を前年度比でどの程度増加させたかによって、控除の割合が決まります。

  • 1.5%以上増加させた場合:増加額の15%を法人税額もしくは所得税額から控除
  • 2.5%以上増加させた場合:増加額の30%を法人税額もしくは所得税額から控除

また、教育訓練費を前年度比10%以上増やした場合は、追加で10%税額控除できることになっています。

この支援制度を適用できる中小企業は多いと思われますが、法人税額の控除ですので、赤字決算の企業は使えません。

賃上げの可否やその方法には、唯一絶対の解はありません。企業の経営者は賃上げのメリット・デメリットや賃上げ方法、国の支援制度を理解したうえで、自社にとって最適な賃上げの判断をすることが求められます。




※記事内で取り上げた法令・制度は2023年2月時点のものです。

<取材先>
うたしろFP社労士事務所代表 社会保険労務士 歌代将也さん

大手製紙メーカーで人事労務、経営企画、財務、内部統制、労働組合役員など、様々な職種や業務を経験し、在職中に社会保険労務士やFPの資格を取得。退職後、2019年に「うたしろFP社労士事務所」を開設し、人事・賃金制度作成のアドバイスや、各種研修・セミナー講師などを行っている。

TEXT:御代貴子
EDITING:Indeed Japan + ノオト