宮城県気仙沼市で道路整備に関する土木工事等を手がける菅原工業。2014年からインドネシアの技能実習生(※1)を受け入れ、2019年には彼らをはじめとする市内の外国人実習生のためにインドネシア料理のレストランとムショラ(小さなモスク=礼拝所)をオープンしました。

技能実習生受け入れの経緯やレストランを始めた理由、さらに海外進出を果たし、同時に気仙沼の地域活性化にも力を注ぐ同社の挑戦について、菅原渉社長にお話を伺いました。

※1……外国人の人材育成を通じて、開発途上国等への技能、技術または知識の移転により、国際協力を推進することを目的とした制度。実習生が日本に滞在できる期間は最長5年。

震災を機に実習生を受け入れ、海外進出へ

――インドネシアからの技能実習生を受け入れることになった経緯を教えてください。

当社は、道路舗装や水道施設工事等を行う建設会社です。現在、日本では従業員数27人で事業にあたっていますが、2011年の東日本大震災前は従業員4人の小さな会社でした。震災後、がれきの片付けや復興事業が増えて人手不足になりましたが、すぐに若者が当社への就職を希望してくれるわけではありません。また、たとえ復興のために多くの従業員を雇用できたとしても、復興事業が終われば雇用を維持できなくなるだろうというジレンマを抱えていました。

そこで、2014年からインドネシア人の技能実習生の受け入れを始めました。当時の気仙沼市内の漁業・水産業の現場では約200人のインドネシア人の技能実習生が働いており、当社も後に続いた形です。さらに、復興事業が一段落した後は育成した技能実習生をインドネシアの現地で従業員として雇用し、海外での事業拡大を目指そうと考えました。2016年にはインドネシアに現地法人を設立しました。

――実際に実習生を受け入れてみて、いかがでしたか?

インドネシアは国民の9割がイスラム教徒です。実習生の受け入れ前にイスラム教について調べた際、戒律に従って食べられるものが定められている「ハラルフード」など数多くの決まりがあることを知りました。そのルールを尊重しながらお互いが快適に過ごせるか、日本語はどこまで通じるのかなどの不安もありました。でも、彼らが来日すると日本語をよく勉強し、日本の文化にも合わせて生活をしてくれました。

当社の仕事は、機械を操作したり、スコップで作業したりする道路の舗装が主な作業です。技術と体力が求められますが、彼らはとても一生懸命で早く仕事を覚えてくれました。日本人従業員が彼らの生活面も含めていろいろサポートしてくれたこともあり、当初の想定よりも早く日本での暮らしに慣れてくれたように感じています。

――苦労はありませんでしたか?

1期生の実習生は同じ立場の先輩がいないので苦労が多かったと思いますが、2期生、3期生と続き、先輩実習生が後輩の面倒を見てくれるようになったので、生活、仕事ともにスムーズに進められたと感じています。

ただ、地元住民には実習生に対して、外国の人だということから偏見を持つ人もいて、会社と地域の人との関係性に苦労した側面はありました。しかし、市が主催する地域の一斉清掃に実習生が参加して一生懸命に作業する姿を見て、地域の皆さんも彼らの真面目な人柄を感じ取り、偏見を払拭できたことはうれしいことです。

気仙沼全体の実習生との文化交流の場を

――インドネシア料理のレストランは、どのような経緯でオープンさせたのですか?

インドネシアの実習生を受け入れて感じた一番の課題は、食事とイスラム教のお祈りの文化でした。食事はイスラム教の戒律によって、食べられるものと食べられないものが厳しく定められているので、気軽に外食を楽しむことができません。お祈りは1日に5回行う欠かせないもので、落ち着いてお祈りができるスペースが必要です。どちらも彼らの生活に密接に関係していることなので、より快適に過ごせるよう、課題を解決したいという気持ちがありました。また、気仙沼に多くの実習生がいながら交流できる場がないのはもったいないという思いもありました。

そこで、2019年にインドネシア料理店とイスラム教のお祈りができる小さなモスク(ムショラ)をオープンしました。料理店には、当社の技能実習生だけでなく、特にカツオ漁が盛んな6~11月は多くの技能実習生も来店し、にぎわっています。料理は私の妻が担当し、インドネシア料理を勉強して当社の技能実習生に味見してもらいながら提供するメニューを決めています。

――レストランやお祈りの場の開設は費用も労力がかかる取り組みですが、そこまで力を注ぐのはどのようなお考えからですか?

今は気仙沼市に多くの技能実習生が来てくれていますが、今後もそれが続く保証はありません。インドネシアはこれから経済成長していく国で、自国でお金を稼げるようになれば日本に来る必要がなくなります。一方、気仙沼市では毎年およそ1,000人もの人口が減っていて、働き手の確保が大きな課題です。

レストランやモスクなど地域で働きやすい環境を整えることで、これから先もインドネシアの人たちが働きたいと選んでくれる国・地域でありたい。そのために地域で文化共生社会を構築しておく必要があると感じています。

インドネシアと気仙沼、両地域の課題解決へ

――地域の未来も見据えた取り組みなのですね。今後の事業展開は、どのように考えていますか?

インドネシアの現地法人では、現在2基のプラントを設置し、リサイクルアスファルトを製造しています。リサイクルアスファルトは日本で40年以上前から導入が始まった技術で、現在は日本の道路の98%に使用されています。インドネシアではまだ普及しておらず、輸入アスファルトに頼っています。そのため原材料費と作業代が高くなるという課題がありました。リサイクルアスファルトを使うと、より低いコストで道路整備ができます。インドネシアはこれからインフラがどんどん整備されていく国なので大きな需要が見込めるため、事業の拡大に期待を寄せているところです。

実習生の受け入れと現地法人の立ち上げによって、気仙沼とインドネシアで人と産業の循環ができあがってきました。今後も文化交流を交えながら、さらにお互いの地域の課題をお互いの強みで伸ばしていきたいと考えています。

――気仙沼市の課題解決に対する取り組みや展望についてはいかがですか?

当社では、2020年に気仙沼市内にある8社の人事採用を担う「菅原工業人事部」という組織を立ち上げ、地元企業の若者の人材確保に積極的に取り組んでいます。具体的な取り組みとしては、市内の中学校で地元企業について知ってもらう出前授業の実施などです。市全体の雇用を底上げできれば、若者の地元定着率が上がります。そうなれば自治体の税収も増え、公共工事などで実施される私たちの事業も持続可能になります。

その根底にあるのは、やはり従業員の豊かな生活を維持したいという思いです。その気持ちを原動力に、これからも地域やインドネシアの課題解決を図りながら前進していきたいと思います。




<取材先>
菅原工業 代表取締役社長 菅原渉さん
1965年創業の、道路に関する土木工事等地域社会のインフラ全般を手掛ける総合建設業者。2014年からインドネシア技能実習生の受け入れ、2016年にインドネシアに合弁企業を設立。気仙沼市の人口減少に歯止めをかけるべく、地元企業と合同で若者の雇用を増やす取り組みにも力を入れている。

TEXT:岡崎彩子
EDITING:Indeed Japan + 笹田理恵 + ノオト