人権デュー・ディリジェンスとは、企業が自社・グループ会社・サプライヤー等での人権への負の影響を特定し、防止・軽減などを行う一連の行為です。
日本では、2022年に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下、人権ガイドライン)が策定されました。人権ガイドラインは、日本で事業活動を行うすべての企業に対して、人権尊重の取り組みに最大限努めるべきであると述べています。
人権ガイドラインにおいては、企業による人権尊重の取り組みの対象範囲として、自社だけでなく子会社や取引先などもカバーする必要があること、「人権」には強制労働や児童労働に服さない自由や、差別からの自由など様々なものが含まれることなど、重要事項が定められています。また、人権ガイドラインは、企業の人権尊重責任を果たすための取り組みとして、①人権方針の策定、②人権デュー・ディリジェンスの実施、及び③自社が人権への負の影響を引き起こし又は助長している場合における救済が求められており、各々の内容について適切に理解する必要があります。
企業が知っておくべき人権デュー・ディリジェンスの基礎知識について、三浦法律事務所 弁護士の坂尾佑平さんに話を伺いました。
人権デュー・ディリジェンスとは? 企業に求められる人権尊重の取り組み
人権ガイドラインでは、人権デュー・ディリジェンスは、「企業が、自社・グループ会社及びサプライヤー等における人権への負の影響を特定し、防止・軽減し、取組の実効性を評価し、どのように対処したかについて説明・情報開示していくために実施する一連の行為」と定義されています。
そして、人権ガイドラインは、日本で事業活動を行うすべての企業(個人事業主を含む)は、人権尊重の取り組みに最大限努めるべきであると述べています。
人権ガイドラインのタイトルに「サプライチェーン等」とあるように、企業による人権尊重の取り組みの対象範囲は、自社だけでなく子会社やグループ会社、さらには資本関係がない取引先やサプライヤー等も含まれます。自社のビジネスに関わる人たちに人権侵害等がないかを見極め、人権への負の影響が特定された場合には適切に対処することが求められるのです。
人権とは、すべての人が当然持っている権利であり、強制労働に服さない自由、出自や宗教、ジェンダーなどの差別からの自由、居住移転の自由、結社の自由といった様々なものが含まれます。人権ガイドラインでは、企業が尊重すべき「人権」とは、国際的に認められた人権をいい、少なくとも国際人権章典で表明されたもの、および「労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言」に挙げられた基本的権利に関する原則が含まれるとされています。
企業は、従業員の労働によってビジネスが成り立っているため、強制労働や児童労働に服さない自由など、労働に関連する人権に配慮することは当然重要です。また、多様な従業員が働きやすい職場環境を整えるという観点から、人種、障害の有無、宗教、社会的出身、性別・ジェンダーによる差別からの自由も非常に重要です。国際スタンダードに照らし、これらの自由・人権が守られていることは、経営における最低限の要件だといえるでしょう。
なお、「デュー・ディリジェンス」という言葉は、企業が他社を買収する際、買収先において法律違反などがないかをチェックする際の用語として使われることがありますが、人権におけるデュー・ディリジェンスは、買収といった特定の場面に限らず、日常的に行われるビジネスにおいて、人権侵害等がないかをチェックするものです。
欧米では一歩先に進んでいる、企業の人権尊重
2011年、国連人権理事会において、「ビジネスと人権に関する指導原則」が承認されました。
この指導原則が承認された背景には、ビジネスがもたらす人権への負の影響に対する社会的関心の高まりがあったと言われています。農場や工場における児童労働、強制労働などの人権侵害が問題視されてきた歴史がある中で、多くの国で人権を守るべく様々な法整備も進められてきました。
一方で、こうした問題への対処を国だけで行うのは難しいのが実情です。そこで、「ビジネスと人権に関する指導原則」では、人権を保護する国家の義務に加えて、人権を尊重する企業の責任について定めています。そして、その中で、人権尊重の具体的方法として、人権デュー・ディリジェンスの実施についても定めています。
人権尊重に関し、欧米諸国では様々な法整備が進んでいます。たとえばイギリスで2015年に施行された「現代奴隷法」は、企業に対し、奴隷及び隷属、強制労働等の根絶のために実施した対策に関する文書開示を義務付けています。続いて2017年にはフランスで「企業注意義務法」、2023年にはドイツで「サプライチェーン・デュー・ディリジェンス法」が施行されました。EU全体としても、2022年に「コーポレート・サステナビリティ・デュー・ディリジェンス指令案」が公表され、人権および環境のリスクに対するデュー・ディリジェンスの実施、およびその内容等の開示を企業に義務付ける方向で検討が進められています。
アメリカでは、2021年に制定された「ウイグル強制労働防止法」によって、新疆ウイグル自治区からの輸入品が強制労働で製造されたものでないことを示すなどの要件を満たさない限り、原則輸入禁止となりました。
このように、欧米諸国では、企業に対し、法律によって人権尊重に関する様々な取り組みを義務付ける動きが進行しています。
人権デュー・ディリジェンスをはじめ、企業が行うべき取り組みとは
一方、2023年現在の日本では、欧米のように人権尊重を法律の形で企業に義務付ける形ではなく、人権ガイドラインにより、国際スタンダードに則った取り組みを企業に促す形を採っています。
現時点では、大企業を中心に一部企業が人権尊重に関する取り組みを実施・開示しているものの、多くの企業では、対応策を検討中であったり、未検討であったりといった状況かと思われます。では、企業は人権尊重の取り組みとして、具体的に何をすべきなのでしょうか。
人権尊重の取り組みの出発点は「人権方針」を策定することです。人権方針の策定・公表により、企業が人権についてどのように考え、人権を尊重するために何をするのかをステークホルダーに示すことが期待されています。
この人権方針は、以下の5つの要件を満たしている必要があります。
- 企業のトップを含む経営陣で承認されていること
- 企業内外の専門的な情報・知見を参照した上で作成されていること
- 従業員、取引先、及び企業の事業、製品又はサービスに直接関わる他の関係者に対する人権尊重への企業の期待が明記されていること
- 一般に公開されており、全ての従業員、取引先及び他の関係者にむけて社内外にわたり周知されていること
- 企業全体に人権方針を定着させるために必要な事業方針及び手続に、人権方針が反映されていること
人権方針を策定・公表したら、次に具体的な人権デュー・ディリジェンスを行うことになります。人権デュー・ディリジェンスの対象範囲には、グループ会社、取引先、サプライヤー等も含まれますが、これらすべての人権問題を一気に調査する負荷やコストは大きく、現実的ではありません。そのため、まずは特にどのような人権が侵害される可能性があるかを特定した上で、人権への負の影響の深刻度が高いものから対応するといった形で優先順位を付けて調査を進めることが想定されます。
そして、調査の結果、自社が人権への負の影響を引き起こしたり、助長したりしていることが判明した場合には、負の影響を防止・軽減する措置を講じ、救済の実施や救済実施への協力をする必要があります。また、取引先等において人権侵害がなされており、自社の事業等が直接関連している場合には、その取引先等に是正の働きかけを行うなどの対応が求められます。
こうした取り組みを続けることが、これからの企業活動において重要性を増していくと考えられます。
日本企業も人権尊重への対応をしないと、経営リスクが高まる
日本では企業の人権尊重に関する開示などを義務付ける法律が存在しないからといって、何の対応もしなくていいわけではありません。現時点でも、人権への対応をしないと、以下のような経営上のリスクが生じ得ると考えられます。
◆海外の法律が適用され、遵守していないと罰則が課される
海外子会社をもっている、あるいは原材料を海外から輸入したり、海外向けに自社製品を販売したりしている企業は、関係する国の法律が適用される可能性があります。その国における人権尊重に関する法律に違反してしまうと、罰則が課されるリスクもあるのです。
グローバルビジネスをしている企業は、自社が適用を受ける国の人権に関する法律を適切に理解しておくことが重要です。
◆ステークホルダーからの追及やレピュテーションリスクの顕在化
人権ガイドラインは強制力のある法律ではないものの、人権尊重の取り組みをしていない企業は、株主、労働組合、従業員などのステークホルダーから、問題提起や批判を受ける可能性があります。
たとえば長時間労働が常態化している企業には、労働組合から人権の観点による批判を受けたり、従業員個人から内部告発されたりするリスクがあります。そして、こうした問題が公になれば、企業のレピュテーションリスク(企業のネガティブな評価が広まり、信用やブランド価値が下がって損失が出るリスク)が顕在化し、大きなダメージを負いかねません。
また、ESG(Environment:環境、Social:社会、Governance:企業統治)を考慮した投資行動をとる株主・機関投資家も増えています。ESGのS(Social:社会)には人権尊重の観点も含まれますので、人権を尊重する取り組みがなされない企業は、株主から厳しい追及を受けたり、機関投資家が投資を引き揚げたりするリスクがあり得ます。
◆取引停止等の不利益を被るリスク
日本国内でのみビジネスをしていて、未上場である中小企業であっても、人権尊重責任と無縁ではいられず、対応をしない場合の経営リスクがあります。たとえば、大手企業の仕入れ先になっているなど、サプライチェーンの中に自社が組み込まれていると、その大手企業の人権デュー・ディリジェンスの対象に自社が含まれることがあり得ます。
仮に、取引先の企業から人権方針の有無や人権尊重に関する取り組み状況についてアンケート調査を受けた際に、人権問題が発覚してしまった場合には、当該取引先の企業から是正処置が求められ、適切に是正処置を講じないと、取引停止等の不利益を被るリスクがあります。
今後は、大手企業を中心に、人権尊重の取り組みが加速していくことが予想されます。人権尊重の取り組みがなされない企業とは取引をしない方針を掲げる企業も出てくるかもしれません。そのため、中小企業においても、人権方針を作るなどの対策を講じる必要性は高いと言えるでしょう。
国際社会に存在する企業の責務として、人権尊重に取り組む
人権尊重への対応をしない企業はさまざまなリスクがある一方、人権尊重にきちんと取り組んでいる企業には、メリットも生まれます。
◆企業のレピュテーションの向上
企業が人権尊重の取り組みを適切に実施・開示していくことで、企業のブランドイメージや投資先としての評価が高まることが考えられます。そして、人権尊重に関して先進的な取り組みを行うことで、企業のレピュテーションが高まり、ひいては企業価値の向上にもつながると考えられます。
◆優秀な人材の採用・定着などにもつながる
企業における人権尊重の最たる対象者は、やはり従業員です。従業員の人権尊重の取り組みにきちんと行っていることを示している企業には、優秀な人材が集まりやすくなるでしょう。
たとえば、日本国内では外国人労働者の人権が問題になることが少なくありませんが、優秀な外国人を雇用したいと考える企業は、国際スタンダードに則って人権尊重をしていることはアピールポイントの1つになり得ると考えられます。また、人権尊重への取り組みを適切に開示することにより、ESGを重視する機関投資家等から投資を受けやすくなるなどのメリットも期待されます。
このように、企業が人権尊重の取り組みを行うことにはメリットがあり、逆に取り組みを行わないことにはデメリットがあると言えます。
もっとも、そのような功利主義的観点を超えて、「人権尊重」という理念の源流には、国際社会の一員たる企業として人権尊重の責務を果たすべきという「ビジネスと人権に関する指導原則」をはじめとする国際スタンダードが存在しているということはきちんと押さえておくべきです。各企業は、人権ガイドラインの内容のみならず、企業の人権尊重責任に関する国際スタンダードを的確に理解した上で、人権デュー・ディリジェンスをはじめとする人権尊重の取り組みを進めることが望まれます。
※記事内で取り上げた法令やガイドラインは2023年3月時点のものです。
<取材先>
三浦法律事務所 パートナー弁護士 坂尾佑平さん
ペンシルベニア大学ロースクール(LL.M. with Wharton Business & Law Certificate)修了。2012年弁護士登録。2019年ニューヨーク州弁護士登録。日米の法律事務所勤務や総合商社法務部出向を経て、2021年3月から三浦法律事務所所属。危機管理・コンプライアンス、コーポレートガバナンス、ESG/SDGs、紛争解決等を中心に、広く企業法務全般を取り扱う。
TEXT:御代貴子
EDITING:Indeed Japan + ノオト