感情労働とは
感情労働とは、「自分の感情を誘発・抑制しながら、相手の中に適切な精神状態を作り出すために、自分の外見を維持する労働」を指します。
感情労働はアメリカの社会学者、A・R・ホックシールドが提唱し、著書を翻訳した『管理される心ー感情が商品になるとき』(世界思想社)が出版されたことを機に、日本でも認識されるようになりました。感情労働で指す「相手」とは、顧客や患者など、利益や報酬に関わる業務上の他者を指します。
感情労働は、たとえば次のケースが該当します。
- コールセンターで不満を訴える顧客からの電話に対し、自分の感情を抑えながら相手に落ち着いてもらうよう働きかける
- 小学校の教員が、厳しい表情や態度、穏やかな表情など状況に応じた対応をして、児童にやる気を起こさせる など
コールセンターのケースの場合、「不満を訴える顧客からの電話があり、落ち込んでしまった」だけでは、感情労働とはいえません。「自分の感情を抑えながら相手に落ち着いてもらうよう働きかける」があって、初めて感情労働とみなされます。
◆感情労働の特性
・情緒的エネルギーを大量に消費する
自身の感情を抑制して相手の感情の変化を起こさせるような対応をする必要があるため、精神的に疲弊しやすい面があります。
・顧客や患者など相手との関係は、互酬関係ではない
感情労働従事者が相手に心を尽くして対応しても、相手から感謝されるとは限りません。
・不可視性が高く、精神的に疲弊しても他者に気づかれにくい
仕事内容が見えないため、評価に結びつきにくい面があります。
肉体労働や頭脳労働との違い
労働のカテゴリには、感情労働のほかに「肉体労働」と「頭脳労働」があります。3つの労働は、それぞれ別の職務に存在するのではなく、1つの職務に混在していることがあります。
例)アパレルショップの販売員の場合
・肉体労働
店内清掃、開店前の準備、バックヤードに在庫を取りに行く
・頭脳労働
客からの質問の真意を汲み取り、納得してもらえる説明をする
・感情労働
客に気持ちよく買い物をしてもらうために、好感を持ってもらえる外見を保ち、感情も整える。クレームがあったときは自分自身の感情(悔しい、悲しい、など)を抑制して、客の怒りが静まり、落ち着いてもらえるように穏やかで丁寧な対応する
◆「肉体労働」「頭脳労働」「感情労働」の違い
3つの労働の違いは、以下の2点から判断することができます。
- 労働が可視化できるかどうか
- 相手との関わりの度合い

感情労働となる職種
感情労働となる職種かどうかを判断するには、次の3つをすべて満たすかがポイントとなります。
- 対面・声などで他者との関わりがあること
- 事業主から雇用されていること
- 自分が感情を管理して、相手に何らかの感情の変化を起こさせること
2の要件から、事業主や病院や事務所に所属していない医師、弁護士などは該当しないと考えられます。
◆職務特性による4分類
感情労働の質や内容は現場によって異なり、「特定の相手か」「対面の関わりか」をポイントに次の4つに分けられます。
1.不特定の相手/対面の関わり
第一印象で相手が親しみを感じ、好感や安心感を抱くために、笑顔や穏やかな表情などの外見の努力と相手の状況に応じた気配りや迅速・的確な対応が求められる。
職業例)ホテルのコンシェルジュ、鉄道駅員、客室乗務員、ファストフード店員、など
2.不特定の相手/非対面の関わり
相手の表情が見えないため、集中力を要し、相手の要望や対応趣旨などを正確に把握し、対応するスキルが求められる。
職業例)コールセンターのオペレーター、相談センターの相談員、など
3.特定の相手/対面の関わり
高度な専門知識や技能を有することが多い。教員や医師、看護師の場合、生徒や患者などの本人以外に家族や周辺の人々との関わりが生じることもある。治療や教育など職務の目的達成に向けて、相手との信頼関係の構築が必要。
職業例)教員、病院勤務の医師、看護師、営業業務従事者、介護施設職員、カウンセラー、など
4.特定の相手/非対面の関わり
傾聴、心理カウンセリング、コーチングなどのスキルを要する。相談者の話を聞き、悩みに寄り添い、相談者が最適な対処を見つけ出せるようサポートする。
職業例)電話カウンセラー、電話コーチングのコーチ、など
上記の中で、コールセンターや看護師などは、感情労働の負荷がかかりやすい職種といわれています。
感情労働によって起こりうる影響
感情労働には、否定的影響と肯定的影響があります。
◆否定的影響
・バーンアウト
精神的な疲労が重なると情緒的エネルギーが枯渇し、精神的消耗感を生じるバーンアウトを発症する原因となります。特定の相手との関係が中長期的に続く病棟勤務の看護師や介護士のような職種に多いといわれています。
・自己非難
感情労働従事者は、「表層演技(※1)」「深層演技(※2)」をして自身の感情と職務を切り離すケースがあります。これらの演技は相手との良好な関係性を築く上で役立つこともある反面、演技を続けることで「自分は表面的な対応をしているから不正直だ」と自身を非難する可能性があります。
(※1)…自然に沸き起こる感情を自覚した上で、外見のみを状況に相応しい感情に沿って変える方法
(※2)…「ふり」でなく、心からそう思うように働きかけ、本来の自分の感情を変える方法
・組織やチームの士気の低下
感情労働で精神的な疲れやストレスがたまった結果、離職や休職をする従業員もいます。組織やチームで十分に対策が行われないままだと全体の士気の低下につながり、新たな離職者や休職者が出る可能性があります。これらのことから、生産性にも影響します。
◆肯定的影響
・従業員のモチベーション向上
対応した相手から「ありがとう」と感謝されることで満足感や達成感を得られ、仕事のやりがいにつながります。
・組織全体の活性化
従業員のモチベーションが向上することで、組織全体が活性化し、パフォーマンスや業績にもいい影響を与えられます。
企業がすべき対策
感情労働の否定的影響を増やさないためにも、企業は次の対策を行う必要があります。
・経営トップからの経営理念の発信、共有
まずは、従業員一人ひとりを大切にする組織作りが先決です。トップがメールや口頭などで経営理念やサービス・コンセプトをことあるごとに発信し、組織に浸透させます。発信した内容をトップ自らが率先して実行することで、より浸透しやすくなります。
・スキル・アップ研修の実施
感情労働に必要なコミュニケーションやアサーティブ、ストレス・コーピング(対処)などのスキルを習得するための研修を実施することが大切です。チームで話し合う場を設けることで、連携や親睦を深められる効果もあります。
・感情労働従事者に一定の裁量性を持たせる
たとえばコールセンターの場合、顧客からの問い合わせに対して「上司に相談します」と答えることで顧客を待たせてしまい、事態を悪化させる可能性があります。
「この金額までなら、自分で判断していい。でも、ここからは問い合わせてほしい」など、ある程度の基準を設定し、感情労働従事者に裁量を持たせるとスムーズに対応でき、感情的負担の軽減につながります。また、自律性や主体性を発揮できることで、仕事に対する満足度を高められるなどのメリットがあります。
従業員に裁量を与える際に、次のことに注意しましょう。
- すべての判断を従業員にさせるなど、丸投げしない
- 現場で働く従業員にどの程度の裁量性を付与するかを見極める
- 裁量の権限をチーム一人ひとりが認識し、共有する
・チームの強化
感情労働を行う従業員一人に負担をかけないために、顧客対応について気軽に話し合える、顧客対応などで疲弊している従業員がいたら声をかけて、チーム全体で課題を共有するなど、風通しのいい環境を整えます。
先輩が持つノウハウを後輩やメンバーに共有すると共に、チーム内で切磋琢磨することで、程よい緊張感(ピア・プレッシャー)を持つことができます。
ハラスメントなどの問題を抱える現場では、チームが健全に機能していない可能性があります。マネージャーには、自身のチームの支援・協力体制が整っているのかを敏感に察知することが求められます。また、チームのフォロー体制を整える上で、感情労働について理解しているマネージャーを配置することも重要です。
・従業員の精神的なケアを行える環境整備
従業員が感情労働で精神的に疲弊したときに周囲に相談できるような体制や相談窓口の設置に加え、物理的な環境を整えるのも方法の一つです。一人になって休息を取れるよう、照明を落としたブースを設けている会社もあります。
・配置転換
ある現場で感情労働が多く発生すると明らかになった場合、誰を従事させるのかを見極める必要があります。場合によっては配置転換が必要になることもあります。
感情労働の肯定的影響が高まれば、組織にとってもプラスに働きます。従業員のケアやフォロー体制を整えて、働きやすい職場を目指すことが重要です。
<取材先>
西武文理大学名誉教授 田村尚子さん
上智大学法学部卒業。学習院大学大学院経営学研究科博士前期課程終了。銀行の役員秘書やラジオ局のニュースキャスター、官公庁・上場企業の人材教育に従事。その後、西武文理大学サービス経営学部教授に就任。人が生き生き働くことができる組織の在り方を一貫して研究。人を大切にする経営学会常任理事。著書に『感情労働マネジメント 対人サービスで働く人々の組織的支援』(生産性出版)。
TEXT:畑菜穂子
EDITING:Indeed Japan + 南澤悠佳 + ノオト




