“対話”を知る 採用を学ぶ 今時の踏み込まない世の中で、“聞く”をすること 01/02 臨床心理士・公認心理師・博士(教育学) 東畑開人氏

「人の話を聞く」のは、コミュニケーションの基本だ。だが実際、相手の言い分をきちんと“聞けて”いるだろうか。逆に一生懸命話したにもかかわらず、訴えが通じなかったと落ち込んだことはないだろうか。私たちが仕事を通じ言葉を交わすなかで、“伝わらない”もどかしさを覚える場面は少なくない。特に組織において、なぜ“聞く”の行き違いが起こってしまうのだろうか。

「人の話を聞くには、誰かにあなたの話を聞いてもらう必要がある」と語るのは、臨床心理士の東畑開人氏。カウンセリングの現場で、人の孤独に向き合い続けてきた東畑氏は、“聞く・聞いてもらう”の関係の連鎖が、組織を活性化させクリエイティビティを生むと説く。『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』『心はどこへ消えた?』など、文筆家の一面も持つ東畑氏に、組織における“聞く”の効用をたずねた。

臨床心理士・公認心理師・博士(教育学) 東畑開人氏

臨床心理士・公認心理師・博士(教育学)
東畑開人氏
専門は、臨床心理学。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。臨床心理士・公認心理師・博士(教育学)。現在白金高輪カウンセリングルーム主宰。最近は企業のメンタルヘルスケアについてのコンサルテーションも行っている。

“子どもの部分”をさらけ出すことを避ける社会で、みんな“わかる”に飢えている

インタビューを受ける東畑開人氏

――東畑さんは、臨床心理士としてカウンセリングルームを主宰されています。2022年には“聞く”にフォーカスした『聞く技術 聞いてもらう技術』も上梓されました。

東畑:私自身、“聞く”を仕事にしていることもあり、「どうしたら人の話を聞けますか?」と質問を受けることが度々あります。最初のうちはそれほど気に留めていなかったんです。だけどイベントをやってみたら、反響がすごかった。世の中、“聞く”ことにこんなに困っているなんて。

いや、みんな聞いてはいるんです。だけど、耳に入るそばから抜けてしまったり、相手の懸命な声を受け止めきれなかったりする。振り返れば私自身、きちんと聞けていないときがあると反省しました。これはテクニックとは違う。自分も「聞く技術」なんて本を書いておいてなんですが、テクニックだけ身につけても “わかる”につながるとは限りません。

――“わかる”というのは、共感できないということでしょうか。

東畑:ここで言う“わかる”は、共感よりもっと知的な話です。「なるほど、そういう背景があったのか」とか「だからいつもそう言っていたのね」というように、断片的なものが物語として理解できた状態ですね。みなさんの“聞く”の悩みは、ストーリーの見えづらさにあるような気がしています。

その理由の一つにはプライベートの回避が挙げられます。多くの人は自分の内側に踏み込まれたくないし、誰かの私的なことに立ち入るのは抵抗を覚える。心理学用語で「熟知性(※1)」という言葉がありますが、今の社会はその熟知性が深まりにくいんです。カウンセリングでは、クライエント(※2)とカウンセラーの間には、基本的に熟知性はありません。だから専門的な知識や技術を駆使して話を聞くのだけど、最終的にクライエントの心を回復させるのは家族や親友といった熟知性の深い人たちです。

※1精神科医中井久夫の言葉で、ケアというものは専門家が行うものではなく、よく見知った人同士で行われることを指す

※2カウンセリングなど心理療法を受ける人、および社会福祉における相談者のこと。臨床心理士や社会福祉関連の分野では患者(patient)ではなく、クライエント(client)と称する場合が多い

相手を“わかる”うえで、心の奥にある大人の部分に包まれた“子どもの部分”を理解するのが重要です。「あ、こんな人なんだ」って思われるような、ふとした瞬間に垣間見える大人じゃない部分ですね。それは無邪気だったりもすれば、誰かを傷つけかねなかったり、疲れが感じられたりする弱い部分です。こういう弱い部分は、やっぱり長い時間を一緒に過ごすことであるときポロっと顕在化する。

けれど、さきほどもふれたように、昨今はそうした隙やジャンクな部分が許容されない風潮があります。強い緊迫感のなか、子どもの部分を漏れ出させまいと警戒する人は少なくありません。カウンセリングでも、「自分のこんな話を聞いてもらっていていいのでしょうか」と躊躇するクライエントがけっこういます。迷惑をかけたくないから遠慮して、がっちり子どもの部分をガードしてしまうんですよね。

組織の成長にはモヤモヤを受容する文化が、能力発揮には人のつながりがある

インタビューを受ける東畑開人氏

――仕事の場では本当なら腹を割って話し合うべきことでも、時間がないからと報告ですませている場面は多い気がします。そこには遠慮が生じていますね。

東畑:頼られるのって、案外嬉しいことじゃないですか。懇意にしている相手ならなおさら、「よし、一肌脱いでやるか」と張り切っちゃう。実はそこに人間関係の彩りがあるはずなんだけど、自分が相談する側に回るとつい忘れてしまうのが不思議です。時間を財と思っているところもあって、迷惑をかけてしまう気がしちゃうんですね。

一方で、聞く側の余裕のなさもある。ビジネス上のコミュニケーションの定番「結論から話せ」って、イライラしている感じがしますよね。聞く側が要領を得られるように話しましょうということなんだろうけれど、聞けるだけの余裕がないことの現れでもあります。私自身もカウンセリングから離れると、グダグダ話されたらイラっとしてしまうこともありますしね。でも結論から話すようになると、いろんな要素が削ぎ落されるから会話が短くなる。すると相手との熟知性は深まらない。そして、互いに余裕がなくなっていく。そうした悪循環というか、下流に澱が溜まっていくような感じがします。

私たちが日々遭遇する出来事で、スッキリと結論の出せることって案外少ない。複雑で曖昧でモヤモヤすることが多いでしょう。この“モヤモヤ”をそのまま抱えて反芻することもけっこう大事なことです。というのも、モヤモヤは“葛藤”に置き換えられます。自分のなかの相反する気持ちを指し、例えばAとBの二つがあったときに両者の間を行き来するような状態です。「Aにしようか、でもBかなあ」と模索するうち、Cという新たな解が出てくる瞬間があります。葛藤からは知や学びが生まれる可能性がある。モヤモヤには、ある種のクリエイティビティが含まれているんです。

――モヤモヤに対する忍耐が、創造を生むということでしょうか。

東畑:不確実で、どうにもできないことに耐える力のことを、“ネガティブ・ケイパビリティ”といいます。英国の詩人ジョン・キーツが記述し、同じく英国の精神分析家であるウィルフレッド・ビオンが再発見した概念です。

ビオンは研究の手法としてグループセラピーを主に扱っていましたが、さかのぼると第二次世界大戦中は英国軍で戦争神経症の治療に当たっていました。そのなかで葛藤に耐えるグループに次第に回復の力が働いていく様子を目にし、ネガティブなものを抱えておくことの価値に気付いたのです。組織にいれば、毎日いろんな問題が起こるものです。ビオンの理論を借りるならば、わからないなりに考えをこねくり回して葛藤を続けることこそが、組織の本来あるべき姿なのでしょう。

――ありきたりな言い回しになってしまいますが、モヤモヤは成長の素なんですね。組織でモヤモヤを抱えるのはいいなと思いました。一人で抱え込むとやられてしますことも多いですし。

東畑:そうですね。そもそもモヤモヤに耐えられる状態になること自体が成長とも言えますが。

おっしゃるとおり「組織で考える」は大事で、誰かが自身のモヤモヤを預かってくれることで、自分は誰かのモヤモヤを預かれるようになる。それを連鎖させていくことがポイントだと思います。多少複雑なことも考えられるようになるし、人の心の苦しみを少しばかり軽くできる。この時の私たちは頭がきちんと働いているんです。裏を返せば、モヤモヤが溢れて調子が悪くなってくると頭が回らなくなって能力を発揮しづらくなる。

スクールカウンセリングの事例を見ていると、子どもがいじめや家庭の問題を抱えている場合、まず成績の低下がサインとして現れることが多いのだそうです。子どもからすればSOSを出しているのだけど、周りはそうと受け取らないですよね。「もっと勉強しなさい!」って、プレッシャーをかけてしまう。

同じことが大人の世界でも起こっている。営業成績がすぐれない社員がいた場合、「努力が足りない」と言われがちですが、もしかしたら何かを抱えているのかもしれない。逆にクリエイティブだったり、アクティブな状態になれたりするときって、誰かが支えてくれていると実感できる場合が多いですよね。

能力発揮には“聞く・聞いてもらう”という、人のつながりが必要なんだと思います。組織では能力主義が支持されている側面もあるけれど、人が能力を発揮する程度には波があって、それはむしろ人との関係に左右される。一部を切り取ってあいつはできる、できないと人を見るのは、逆に能力を下げることになると思うわけです。

弱っても働ける“ill-being”に目を向けられるか

インタビューを受ける東畑開人氏

――誰もが調子を崩すことはありますし、組織によき理解者が一人でもいると、力が湧いてくるものです。

東畑:“聞くこと”って、フワっとしたものに受け取られがちですよね。特に元気なときだと気にも留めない。けれども私たち臨床心理士のように調子を崩しているクライエントと接していると、“聞いてもらうことの力”をソリッドに感じます。話す相手ができること、つながりをもつことによって、クライエントは明らかに変わります。心は孤独によってむしばまれ、つながりによって回復します。

面白いことに「聞いてもらいたい」って思えるうちは、まだそれほど調子を崩していません。「友達に聞いてもらって発散しよう」「言葉にして考えを整理したい」みたいに、“聞く”の効用を理解できる。だけど調子が悪くなると、「話しても何も変わらない」とか「どうせわかってくれない」とか、悲観しがちなんですよね。“聞く”の価値は、すごく移ろいやすい。

ここ数年、“ウェルビーイング(well-being)”という言葉が使われるようになりました。いきいきと働こう、元気よく毎日を過ごそうと、企業でも健康経営の一環でヨガを始めたり、禁煙を推進したりしている。それ自体はとても良いことだと思います。

ただ、ここにもう一つ視点を加えると、より多くの人をカバーできるようになると考えています。それは、“well”-beingならぬ“ill”-beingです。要はしんどい状態でも、どうすれば会社で働き続けられるかっていう。産業保健は元来、調子の悪い人に焦点を当てていたと思うんです。一見して元気であっても、部分的に病んでいる場合もあります。病んだ部分を分散した形で扱ってくれるから、どうにか働けるというところを組織は残しておく必要がある。

――弱さを開示できて、誰かにモヤモヤを預けられる組織のほうが安心して働ける気がします。

東畑:そういう意味で言うと、人が採れない、定着しないといった昨今の問題は、社会全体から見たら悪いことではないのかもしれません。なぜなら、人を大切にしない会社が淘汰される流れにつながるだろうから。組織がサステナブルであるには、個々人が持続的に働ける風土や環境でなければ難しいですよね。どこかサバイバルな部分があった労働市場が、人間的な社会に変わっていく兆しと捉えることもできるのかなと。

となると、“聞く・聞いてもらう”関係のある組織を築くことが、組織の持続可能性にも関係してきます。人が定着することで経験が積み上がるし、採用やオンボーディングにかける費用も抑えられる。それに人が次々辞めるのは、残っている人たちのテンションを著しく下げてしまうでしょう。“聞く”って面倒で大変なところもあるけれど、聞く力の高い組織のほうがコストパフォーマンスがいいとも言えるかもしれません。

後編では、「聞く」スタンスを採用領域において応用する方法と、その効用について伺います。