感染症流行時に海外出張や勤務を命じることは法的に問題ない?
感染症流行時に企業が従業員に海外出張や海外勤務を命じることは、法的に問題があるケースもあれば、ないケースもあります。ポイントとなるのは、企業に課せられている「安全配慮義務」を尽くしているかどうかです。
◆労働者の安全への配慮
安全配慮義務は、「労働契約法第5条」で、次のように定められています。
使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。
引用:労働契約法第5条
労働契約法では、具体的な配慮の内容は明らかにされていません。接客業と事務職では配慮すべき内容が違うように、どのような、また、どの程度対処が必要なのかは職務によって変わるからです。
安全配慮義務を履行する上で、参考として押さえておくことの一つに厚生労働省による指針があります。
たとえば、新型コロナウイルス感染症の場合、時差通勤やテレワークの実施など、厚生労働省のサイトに具体的な感染予防対策が紹介されています。これらが社会的にスタンダードな安全対策と考えて、まずはできる範囲で実行しましょう。
また、自社の業務内容を洗い出し、その上で何が必要かを考えることも重要です。
◆労働安全衛生法と安全配慮義務
なお、労働者の安全と衛生を定めた法律に「労働安全衛生法」があります。
事業者は、単にこの法律で定める労働災害の防止のための最低基準を守るだけでなく、快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保するようにしなければならない。また、事業者は、国が実施する労働災害の防止に関する施策に協力するようにしなければならない。
引用:労働安全衛生法第3条
労働安全衛生法に違反した場合、罰則が科される可能性があります。たとえば、企業が医師による健康診断を従業員に受けさせなければ、50万円以下の罰金が課せられることとなっています。
ここで肝心なのは、「労働者の安全配慮義務を履行すること」は、「労働安全衛生法を遵守すること」で事足りるものではないということです。労働安全衛生法は、従業員の安全や健康に関して最低限行うべき内容を定めたものです。
つまり、労働安全衛生法を守っているだけでは、十分な安全配慮がされているとは言えません。
◆企業が安全配慮義務を怠った場合の罰則は?
企業が十分な対策をしなかった場合、安全配慮義務違反とみなされますが、労働安全衛生法のように法律で罰せられることはありません。
しかし、次のようなケースでは、海外出張や海外勤務を命じられた従業員本人から損害賠償を請求される可能性が生じます。
- 従業員が海外出張または海外勤務により健康を害した場合
- 海外出張または海外勤務で健康を害し、遺失損益が発生した場合
- 海外出張または海外勤務で健康を害し、後遺症が残った場合 など
感染症流行時に海外出張や勤務を命じることで生じるリスク
感染症流行時に企業が従業員に対して海外出張や海外勤務を命じることで、次のようなリスクが企業に生じる可能性があります。
- 従業員管理(健康対策上の管理)が不十分との指摘・風評
- 本来業務をしてもらいたい従業員が欠勤するリスク
- 感染拡大の発端・契機になってしまうリスク(社会的評価の悪化)
- 業務が滞ることからの事業上の損失
- 風評や業務遅滞から生じる社会的信用の失墜
これらのことから、会社として経済活動の継続すら難しくなることも考えられます。
◆海外出張・海外勤務の特徴
海外出張や海外勤務には下記の特徴があり、通常の勤務より従業員にかかる負担が大きい面があります。
・環境の急激な変化
日本とは異なる気候や労働環境などに身を置くことになるため、従業員が赴任地に順応することが難しい面があります。
・時差、航空機搭乗による体調管理の難しさ
日本と赴任地の時差や気候の違い、運動がしにくく乾燥した航空機内の環境など、体調管理が難しい状況が多く、体に負担が生じやすくなります。
・日本の業務との密接性(過重労働)
通信手段の進化により、出張先に限らず航空機内でも日本の業務を継続的に実施できる環境があります。特に海外出張の場合、赴任地と日本、それぞれの業務に対応する必要があるため、過重労働になりやすい傾向があります。
・地域特性
感染症のまん延状況や医療体制の充実度などは、国によって異なります。そもそも日本で入手できる情報が不足している可能性があります。各地の医療環境により、医療にかかる経済的負担も様々です。
さらに、言語や習慣、文化の違いから生じるストレスもあります。このようなことから、海外出張者・海外赴任者には、国内業務に比して、より配慮が必要な特徴があると考えられます。
感染症流行時に海外出張や勤務を命じる場合に企業がすべき対策
◆赴任地の情報収集
外務省のサイトを確認する、赴任地で勤務する従業員に聞くなどして情報を集め、海外出張・勤務にあたる従業員に共有します。
◆BCPの策定
BCPは、災害時や感染症流行時などの有事の際に、会社が事業を継続させるための計画です。
事業者(経営者)には、民法第644条と会社法第330条で「善良な管理者の注意義務(善管注意義務)」が課せられており、感染症まん延時や自然災害などの有事の際にもプロの経営者として事業を継続できる体制を構築することが求められます。このような点から、BCPの策定は不可欠です。
従業員の安全配慮義務の履行も人的資源を維持するという意味から事業継続の重要なポイントの一つであり、双方のバランスを取りながら対応することが重要です。経営陣が残念ながら安全配慮義務の重要性を理解していない場合でも、BCPを策定することで安全配慮を事業継続の取り組みの中に入れて実施することができるというメリットがあります。
◆BCPに入れておくべき内容
感染症を想定したBCPを策定する場合、次の5つをポイントにするといいでしょう。
1.従業員のワクチン接種
感染症がまん延する地域では、ワクチン接種が重要な安全対策となります。会社ができる対応は、次の2つです。
(1)ワクチン接種の重要性を従業員に伝え、理解してもらう
(2)接種のための環境整備を整える(費用負担や接種時間の確保など)
ただし、ワクチン接種を従業員に強要することはできません。業務命令の対象になるのは労働契約に基づいた労働の義務の提供に関することであり、ワクチン接種は対象外と見なされます。情報共有や環境整備などできることをした上で、最終的な判断は従業員に任せます。
2.従業員がワクチン接種を拒否した場合の対応
持病や副反応の懸念から、ワクチン接種を拒否する従業員もいます。「ワクチン接種をしないと従業員の健康を害する可能性がある地域の場合、接種しない従業員を渡航させない」などの対応を決めておきます。別の従業員を派遣する場合は、代替できる従業員を決めておくことも重要です。
3.従業員の家族の対応
海外赴任の場合、従業員の家族の安全配慮も行う必要があります。次の内容をBCPに入れておくといいでしょう。
- 同行の有無
- 家族のワクチン接種
- 帰国対応のルールなどを含めた健康管理 など
4.業務の複線化
特定の従業員だけが赴任先の業務に対応している場合、その従業員が感染症に罹患したら、事業を継続することが難しくなります。業務を継続する方法や業務を代替できる従業員の確保(複線化)など、万が一のケースを想定した対応を決めておきましょう。
5.従業員が感染症に罹患した場合の対応
- 医療機関の受診方法、医療アシスタンス会社(※1)の関与、搬送方法
- 従業員への帰国指示について
- マスコミへ発表・公式サイトなどでの広報 など
※1…医療機関の受診の手配や通訳の派遣、治療状況の報告など、様々なサービスを提供する
◆海外に6カ月以上派遣する従業員を対象とした健康診断の実施
「労働安全衛生規則第45条第2項」で、海外に6カ月以上派遣する従業員に対し、健康診断を実施することが事業主に義務付けられています。健康診断は、渡航前と帰国後国内業務に就かせる前に実施します。
事業者は、本邦外の地域に六月以上派遣した労働者を本邦の地域内における業務に就かせるとき(一時的に就かせるときを除く。)は、当該労働者に対し、第四十四条第一項各号に掲げる項目及び厚生労働大臣が定める項目のうち医師が必要であると認める項目について、医師による健康診断を行わなければならない。
引用:労働安全衛生規則第45条第2項
◆健康管理体制の整備
「企業(人事担当者)」「海外出張・勤務者」「健康管理スタッフ(産業医など)」が、それぞれ連携します。
・人事担当者と海外出張・勤務者
<渡航前>
人事担当者は、健康面などから従業員が海外出張や海外勤務に適切であるかどうかを判断します。従業員に持病がある場合、負担の大きい海外勤務が難しい可能性があるからです。人事担当者は現地の情報を従業員に提供し、従業員は自身の健康管理について報告します。
<渡航後>
人事担当者は現地の感染状況などを、従業員は自身の健康管理について報告します。健康を害する様子が見られたら、海外出張・勤務を別の従業員と交代する、休みを取らせるなどの対応をします。
・産業医と従業員
<渡航前>
従業員は産業医に健康相談をし、産業医はワクチン接種や健康指導などを行います。従業員に持病がある場合、人事担当者に報告していなくても、産業医には伝えているケースがあります。
<渡航後>
産業医が電話やメールなどで健康相談を行います。
・産業医と人事担当者
<渡航前>
従業員が人事担当者に持病を隠している場合、赴任先で健康を害する可能性が生じます。必要だと判断した場合は産業医への相談内容を会社に報告するなど健康情報の取扱を決めておき、その前提の元に従業員に話してもらいます。必要な場合は人事担当者に報告します。
<渡航後>
従業員が健康を害している様子が見られれば、人事担当者と相談をしながら適切な配置をするための情報交換をします。
様々な対策をしていても、感染症は100%防げるものではありません。重要なのは、企業活動としてできる限りの安全対策を講じることです。そのような体制を講じた上で、海外出張や海外勤務を命じることが肝心です。
安全配慮義務を履行する上で注意すべき点
グループ企業では、従業員が現地法人の社長代理として海外赴任するケースがあります。このとき海外勤務者にのみ安全配慮がなされている(つまり、現地法人の従業員への安全配慮がなされていない)と、赴任先(現地法人など)の従業員の心象に影響し、海外勤務者が働きにくくなる可能性があります。
従業員との信頼関係を構築するためにも、赴任地の安全配慮も同様に履行することが望ましいです。対策を考える上で、現地で働く従業員が活用できる内容かどうかも重視する必要があります。
安全配慮義務の履行は、会社の事業継続に大きく関わります。繰り返しますが、情報収集やBCP策定など自社にとって必要な安全配慮を講じた上で、海外出張や海外勤務を命じることが肝心です。
※記事内で取り上げた法令は2022年5月時点のものです。
<取材先>
丸の内総合法律事務所 弁護士 中野明安さん
災害総合支援機構副代表理事、日本弁護士連合会災害復興支援委員会委員長など歴任。弁護士業務として、会社法、労働法、企業における災害対策、安全配慮義務、リスクマネジメントを含む企業法務全般を業務範囲とする。著書に『もうひとつの新型インフルエンザ対策』(第一法規)など。
TEXT:畑菜穂子
EDITING:Indeed Japan + 南澤悠佳 + ノオト
