アルバイトはいつ誕生した? 学生アルバイトの歴史といま

キッチンで働く人たちのイメージ


「アルバイト」は、もともとは「パートタイムの仕事」を意味していなかったことをご存知でしょうか。
 
日本で戦後に始まったアルバイトの歴史を紐解けば、たびたび「ブラックバイト」などが話題に上がるアルバイトの雇用問題を押さえるヒントになるかもしれません。アルバイトの概念が誕生した戦後から現在における社会環境や従事者の変化、現在のアルバイトについて、『アルバイトの誕生 学生と労働の社会史』を執筆した教育社会学者・岩田弘三さんにお話を伺いました。

 
 

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ドイツ語の「アルバイト」は、「パートタイムの仕事」の意味ではない


――「アルバイト」は日本でどのように始まったのでしょうか?
 
「アルバイト」は終戦後間もない1940年代後半に、日本で一般的に使われ始めた言葉です。戦前期には「内職」と呼ばれていましたが、戦後に「アルバイト」が「パートタイムの仕事」、つまり「定職とはみなせない仕事に従事すること、とくに副業を糧にお金を稼ぐこと」を表すようになりました。
 
しかし、由来となっているドイツ語の「アルバイト」は、本来「常勤の労働・職業」や「研究」を意味しています。日本では、戦後に「定職とはみなせない仕事に従事すること」などの異なる意味で定着し、いまに至っているのです。
 
――なぜ意味が変わったのでしょうか?
 
当時、アルバイトをしていた大学生の置かれていた状況が関係しています。高等教育(大学・短大・高等専門学校)への進学率は1955年時点で10.1%にすぎず、大学生はごく少数のエリートだったといえます。しかし終戦後の混乱のなかで生きていくためには、エリートとしての自負をかなぐり捨てて、不本意ながらも学業のかたわらで仕事に従事せざるを得なかった。これにより、みじめな気持ちになった学生は多かったと思われます。
 
そこで、「アルバイト」という言葉が使われるようになりました。語感がカタカナ文字で明るく、「常勤の労働・職業」や「研究」を意味しているため、「食べていくために働いているのではなく、研究の一貫として働いてるんだ」と矜持を持って、自分のモチベーションを高めていた面があったと考えています。

 
 
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苦学生は「ムスケルアルバイト」や「売血」も


――では、当時のアルバイトは「研究」に結びつくような仕事が多かったのですか?
 
昔からの家庭教師や翻訳の下請け、官庁・会社の事務、雑誌出版の編集事務などは「研究」のような側面を持っていたかもしれませんが、そればかりではありませんでした。
 
激しい肉体労働もあり、学生の間では、ドイツ語で「ムスケルアルバイト」と呼ばれました。ムスケル(Muskel)とは、ドイツ語で筋肉を指します。
 
さらに、「給血」のアルバイトをしている学生もいました。「給血」とは、いまで言う「献血」ではなく、「売血」のことです。当時の女子学生の手記(※1)では、「身を売るくらいなら血を売ろう」と決意したことが記されています。
 
女子学生に限れば、1955年時点の高等教育進学率は4.9%です。彼女たちはごく少数の恵まれた家庭出身でしたが、それでも「給血」のほか、占領軍関係者に喫茶店でアルコール類を提供する「夜バイト」に従事する学生もいました。当時これらは問題視されていましたが、そうしたアルバイトに従事してでも学びたいという意欲があったことにも注目してほしいです。
 
※1……『わが大学にある日々は――アルバイト学生の手記』より(日本学生生活手記編纂委員会編/1953年、国土社)
 
――一部のエリートがするものだった「アルバイト」は、その後どのように広がっていきましたか?
 
戦後すぐの時代には、なんとか大学に通うためにやむを得ずアルバイトに従事していました。しかし、1950年代後半以降には「小遣い稼ぎ」のためのアルバイトが増えていきました。「家庭からの給付のみで修学可能」な学生、つまり経済的には必ずしも働かなくてもいい層の学生がアルバイトをし始めたのです。
 
特に1970年代以降には授業期間中の経常的アルバイト従事者の比率が増え、アルバイトが日常化していきました。学生側と企業側の両方にその要因がありました。
 
学生側は、進学率が上昇し、大学が一部のエリートのものではなくなっていきました。学業以外の活動に興味・関心を持つ学生の割合が高まり、学業以外の活動のためにアルバイトでお金を稼ぐ学生が増えていったのです。具体的には、カメラ、ステレオ、バイク、ギターなどの耐久消費財ブーム。そして、高度経済成長にともなう余暇・レジャーブームです。
 
バブル時代には「アッシー君」「メッシー君」といった言葉が流行りましたが、当時の雑誌のなかにはお勧めのクリスマスの過ごし方として、ヘリコプターをチャーターして夜景を見て、シティホテルのスイートルームでブランド品のプレゼントを渡すデートを提案したものさえありました。学生たちは、遊びのためにアルバイトでお金を稼ぐ必要があったのです。

 
 
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「消極的アルバイト雇用」から「積極的アルバイト雇用」へ


――アルバイトが日常化したことの企業側の要因はどんなものでしたか?
 
1960年代後半になって、アルバイト雇用企業の数は急激に増加しています。高度経済成長期の若年労働力不足を背景とし、アルバイトが「代替労働」となっていきました。代替労働とは、本当は正社員を雇用したい企業が、社会全体での人手不足の影響を受けて叶わず、やむを得ず正社員の不足分をアルバイトで代替することです。
 
1970年代には、外資系店舗の日本展開をきっかけとして、アルバイト雇用を前提とする経営が出現し始めました。ファストフード店やコンビニエンスストア、スーパーマーケットにおける店員、レジ係などがそれに当たります。1980年代に入るとファミリーレストランなども登場し、急激に事業を拡大していきました。これらの業種では、正社員の雇用をアルバイトに置き換えることによって人件費を削減し、商品の価格を低く抑え、売上・利益を伸ばすという経営戦略を採用していました。このような方針は同業他社だけでなく、他の業種へも浸透していきました。
 
つまり、「消極的アルバイト雇用」から「積極的アルバイト雇用」への転換があったのです。正社員が足りないためにやむを得ずアルバイトで労働力を確保していた時代の「消極的アルバイト雇用」が終わり、多くのアルバイト雇用を前提とする「積極的アルバイト雇用」が主流となり、現在に至ります。
 
――日本におけるアルバイトの歴史を踏まえ、企業が気をつけるべきポイントはありますか?
 
「積極的アルバイト雇用」は、営利目的である企業にとっては合理性があります。しかし、「積極的アルバイト雇用」が進んできた結果として、現代で行き着いた先がいわゆる「ブラックバイト」だったことには目を向けるべきです。「ブラックバイト」とは、今野晴貴さんなどの定義によれば、「学生を使い潰す」アルバイトのことです。労働法規が守られず、責任を押し付けられます。
こうした実態のアルバイトは、経済合理性ではない部分で歯止めを効かせ、学業が本分である学生にとって負担のない雇用形態を目指していくべきです。

 
 
 

<取材先>
教育社会学者 岩田弘三さん
文科省大学入試センター研究開発部助手などを経て、武蔵野大学人間科学部教授、博士(教育学)。著書に『近代日本の大学教授職』(玉川大学出版部)、『アルバイトの誕生 学生と労働の社会史』(平凡社)など。
 
TEXT:遠藤光太
EDITING:Indeed Japan + ノオト

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