賃金債権の「消滅時効」とは?
労働者が退職した後になって、残業代の未払いがあることを理由に企業側に残業代を請求する場合があります。このとき、企業は長期にわたって残業代の未払いがあったとしても、消滅時効を主張することにより、現状では、過去3年分の未払い分の支払いのみで、残りの未払い分については支払いを免れることができます。
消滅時効の制度は、権利があってもそれを放置していた場合に、法(裁判所)はその権利行使を手助けしない、との考え方に基づき設定されています。これは法律の世界でいわれる「権利の上に眠る者は保護しない」といわれる考え方に基づいています。
現行法では、退職手当以外の賃金債権については、裁判などによって請求をすることなく3年間が経過すると、その後に請求したとしても使用者(=企業)は消滅時効を主張することによって支払いを免れることができます。
「5年(当分の間は3年)」という定義の曖昧さ
2020年の法改正以前、労働者が残業代や退職金などの賃金を受け取る権利、すなわち「賃金債権」を行使できる期間は、労働基準法で「2年」と定められていました。つまり、労働者側が企業に不払いの残業代を請求する場合には、過去2年分までしか遡ることができなかったのです。
賃金債権については労働基準法に定めがありますが、労働基準法の改正前に、2017年に民法(債権法)の大改正があり、消滅時効についても大きく内容が変わりました。
改正前の民法では、一般の債権は、原則10年間は権利行使しないと時効によって消滅すると定めていましたが、一定の債権については例外的に「1年間」の時効によって消滅する規定(短期消滅時効)を設けていました。その中に雇用契約に基づく「使用人の給料に係る債権(賃金債権)」も規定されていました。
しかし、1年という短い期間は労働者にとってあまりに不利です。そこで労働者保護の観点から、消滅期間を「1年」から「2年」に延長したのが、労働基準法115条でした。
その後に改正された民法では、この短期消滅時効の規定を廃止し、一般の債権は原則として一律「5年間」で時効が消滅する規定に変わりました。
このように民法の消滅時効期間が「5年間」となったことに伴い、労働基準法上の賃金債権の消滅時効期間である「2年間」も変更する必要が生じました。
企業側は「原則5年」の心構えを
しかし、もともとの賃金債権の消滅時効期間が定められた経緯(民法で定められた消滅時効期間を労働者保護の観点から延長する)から考えれば、民法に合わせて賃金債権の消滅時効期間も「2年間」ではなく「5年間」にそろえることが合理的です。
そこで改正労働基準法は、賃金債権の消滅時効期間をこれまでの「2年間」から、民法と同じ「5年間」に改正することになったのです。ただし、実際に消滅時効期間が延長されることにより、未払い賃金を今まで以上に支払わなければならなくなる企業側の負担を考慮し「当面の間」は「3年間」とすることになりました。
これらの事情は、いわば政治的妥協の結果です。本来は「5年間」にすべきところを政治的妥協の結果として「当面の間」「3年間」とされているため、企業側としては今後の政治情勢次第では「5年間」になることを予想して行動する必要があるでしょう。
また、裁判所が悪質な未払金事例と判断した企業には、ペナルティとして付加金の請求も可能になります。
労働時間の適切な管理・点検を
賃金債権の消滅時効に関しては、そもそもの発端は企業側にあります。
企業側が違法に賃金を支払わないことで、労働者側から未払い賃金請求が行われ、それを拒絶するための理屈として生じたのが「消滅時効」だからです。
本来は違法に残業代を支払ってこなかったのは使用者(企業)側ですから、消滅時効を主張することにより、過去の未払い残業代等の賃金の支払いを免れること自体、決して褒められた話ではないのです。
したがって、労働法規を守り、法令に従って残業代等の賃金をきちんと払っている会社であれば、消滅時効については特に気にする必要はありません。
中小企業の立場からは、労働時間をしっかり管理し、長時間労働や過重な労働で労働者が体を壊すことのないように、社内体制を構築していく必要性が今後はますます高まっていくものでしょう。
※記事内で取り上げた法令は2022年6月時点のものです。
<取材先>
戸舘圭之法律事務所
戸舘圭之さん
弁護士。ブラック企業被害対策弁護団の副代表を務めるなど、労働事件に積極的に取り組んでいる。その他、著名な冤罪事件「袴田事件」の弁護人としても活動する。
TEXT:阿部花恵
EDITING:Indeed Japan + 南澤悠佳 + ノオト