企業は従業員の住まいに対してどこまで関与できるもの?
◆企業が従業員に転勤を命じる場合
企業が業務運営上の都合から、従業員の就業場所や担当業務を変更することを「配転命令」(転勤命令)といい、人事権の一つとして認められています。就業規則や労働契約に明文化されている場合、それらに基づく配転命令によって勤務地や配属先を異動させることが可能です。
会社からの配転命令は無制限に認められるわけではありません。その命令が下記の3つに該当するような特別な場合は「権利濫用」とみなされることがあります。
- 業務上の必要性がない場合
- 嫌がらせや退職に追い込むためなど、不当な動機や目的で命令がなされた場合
- 転勤や転居によって家族の介護ができなくなるなど、従業員本人に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものである場合
◆企業が従業員に勤務地近郊への転居を命じる場合
勤務地から遠距離の従業員を勤務地近郊に転居させる場合は、従業員の就業場所や担当業務を変更するわけではないので、厳密には配転命令にはあたりません。
ただ、過去には、転勤によって東京の自宅から約3時間をかけて通勤している従業員に対する会社の勤務地近郊への転居命令の可否について争われた事案において、配転命令の場合と同様の枠組みで判断した裁判例があります。この事例では、裁判所は転居命令権を認めた上で、最終的には「業務上の必要性」がないことを理由に転居命令は無効であると判断しました。(東京地裁/2018年6月8日)
従業員は、企業に対して「労務の提供」の義務を負っており(労働契約法第5条)、労働時間内は職場など企業の決めた場所で業務を行う必要があります。一方で、労働時間以外の時間は従業員の自由な時間であり、住む場所はもちろん、通勤にかける時間や通勤方法なども基本的には本人の自由であると考えられています。
そのため、このように転居命令の場合を配転命令の場合と同様の枠組みで判断することについては、疑問の余地がないわけではありません。
もっとも、居住地が遠距離であることにより実際に通常業務に支障が生じている場合には、企業は従業員に転居命令を出すことができる余地はあると考えられます。
たとえば、長距離通勤による通常業務に支障が出る例としては、下記が挙げられます。
- 通勤時間が長いため遅刻や早退を繰り返すようになった
- 通勤により体力を消耗して、業務の質が低下した
- 終電が早まったことにより、残業が一切できなくなった
ただし、この場合も労働時間以外の時間の使い方については基本的には従業員の自由時間であるという原則を踏まえ、慎重に検討することが必要です。
勤務地近郊への転居命令を出した場合、住宅手当は必須になるのか
転居命令を出したとしても、それにより住宅手当を支給する法的な義務は生じません。しかし、転居に伴って本人に著しく体力的負担や経済的負担を強いることになる場合は、住宅手当や引越し代の支給や社宅の提供など、会社側の配慮が必要であるといえます。個々のケースに合わせて、従業員の負担を緩和する方法を検討しましょう。
従業員が勤務地近郊への転居命令を拒否した場合は?
従業員が長距離通勤が原因で通常業務に支障をきたしている場合などで会社が有効に転居命令を出しうる場合には、その転居命令を拒否することは業務命令違反となります。この場合、その違反の程度に応じて就業規則に基づいた懲戒処分を科すことができます。
遠距離従業員の通勤交通費や、車通勤の定め方
◆通勤交通費の規定に上限を設ける
多くの会社では、通勤交通費について「自宅から会社まで最も合理的で経済的な経路による定期乗車券購入実費あるいは車の燃料費を支給する」旨を就業規則や給与規程で定めているケースがみられます。この規程が遠距離通勤者の従業員にもそのまま適用されることになると、企業は高額な通勤交通費を全額支給する必要が出てきてしまいます。
企業の負担を軽減したい場合は、ほかの従業員の意見や他社のルールなどを参考に、通勤交通費の上限額を設定するなど、就業規則や給与規程の見直しを行いましょう。
◆テレワーク拡大を踏まえて手当を見直す
近年はテレワークの拡大により、通勤の有無に関わらない固定額の通勤手当の支給から実費支給へ切り替える企業もあります。従業員の働き方に合わせて通勤交通費の支給方法を見直すのも、交通費のトラブルを回避するための一つの手段といえるでしょう。
※記事内で取り上げた法令は2022年7月時点のものです。
<取材先>
ベーカー&マッケンジー法律事務所 弁護士 パートナー 村主知久さん
コーポレート/M&Aグループに所属。18年間の実務経験を有し、国内外の依頼者の労働問題全般(労働条件整備、人員削減、労働紛争処理等)の対応に加え、多数のM&A案件(クロスボーダーを含む)を主として労働法の観点から関与。また、その他企業内不正調査、訴訟紛争に加え、労務以外の一般企業法務等にも携わる。
ベーカー&マッケンジー法律事務所 弁護士 シニア・アソシエイト 桐山大地さん
コーポレート/M&Aグループ及び労働グループに所属。国内外の人事労務案件に精通し、主に多国籍企業の日本での事業運営及び日本企業の海外での事業運営に関する人事労務上の問題について、幅広く戦略的なリーガルアドバイスを提供。プラットフォームビジネスに代表される新しい働き方に伴う問題にも積極的に携わる。
TEXT:宮永加奈子
EDITING:Indeed Japan + 南澤悠佳 + ノオト




