高齢化が進む左官業界では、せっかく若い人たちが入社しても見習い期間で辞めるケースが多く、人材育成の難しさが問題となっています。そのような中、店舗や住宅の左官工事を行う原田左官工業所は、見習い期間終了時にほぼ採用した全員が残るほどの高い定着率を誇ります。
どのような体制や制度を整えて社員育成を行っているのでしょうか。同社の代表取締役社長・原田宗亮さんにお話を聞きました。
左官業界を取り巻く状況
――左官の業界は、入社しても見習い期間で辞めてしまう方が多いと聞きました。それはなぜでしょうか。
長年、建築業界では「見て覚える」という教育方法がとられてきました。新入社員は現場で先輩の背中を見て、技を習得しなくてはいけないのです。しかし、その教育方法では左官の技術が身につくまで時間がかかります。
たとえばクロスを貼る仕事なら、半年~1年で一人前に近い仕事ができるようになると言われていますが、左官の場合は感覚をつかむためには3~4年、一人前になるには10年かかると言われています。見習い期間はどうしても給料が安いため、稼げるようになるまでの道のりが遠く、辞めてしまう率が高いのです。
採用の状況が変わってきていることも一因です。以前は高卒で入社する人が多かったのですが、今は大卒で入ってくる人が多い。大学を卒業する年齢から「見て覚える教育」を始めると、一人前になるまでに時間がかかりすぎてしまいます。
また、「見て覚える」というスタイルが、今の若い人たちからすると、何を見て何を覚えればいいのかわからない。その不明確さもあり、雰囲気になじめず辞めていく人もいました。
――大卒で入社する人が増えたそうですが、年齢や学歴の他に、応募者層の変化はありますか?
左官の仕事に興味を持つ人から応募がくるようになりましたね。以前は工業高校から、先生に連れてこられて就職するという人が多かったのです。自分で選んだ仕事ではないので、気に入らなければすぐ辞めてしまう反面、仕事がはまれば残る人もいました。こちらとしても「ヤル気がある人だけ残ればいい」と考えていたような時代です。
それが10年ほど前からは、ホームページを見て「左官の仕事をやりたい」と入ってくる人が増えました。これはすごく大きな変化でしたね。ただ当時は、社員のヤル気があっても、会社側の教育体制が整っていなかったので、仕事の学び方や気持ちの出し所がわからず、辞めていく人が多かったのです。
「塗り壁トレーニング」で離職率低下に
――なるほど。ちなみに新人はどのような仕事からはじめるのでしょうか?
一般的には、まずは下働きからですね。1つずつ材料や道具を覚えていって、コテを握るのは3~4年後。それまでに、迷って辞めてしまう人が多くいました。
――その問題を解決するために、御社ではどのような研修を取り入れたのでしょうか。
10年ほど前から、入社後1カ月間「塗り壁トレーニング」を行うようにしました。これは実際にコテを握って、動画を手本にしながら塗り方を覚える研修です。左官の仕事は、やはりコテを握って「塗る」のが面白い。入社直後から実際に塗る体験をすることで、「将来、これで仕事をしていく」と実感してもらうところから始めました。
また、研修で「見て覚える」方法を体験しておくと、ある程度知識を身につけて現場に入ることができます。知識があると先輩の仕事の何を見て、何を学べばいいのか迷わなくなる。その結果、離職率が大きく変わりましたね。昔は4月に5人採っても、半年後には1人になっていましたが、今はほぼ全員が4年間残っています。
昔とは形は違いますが、これも「見て覚える」方式ですね。
――現代に合った方法に変えたのですね。どのような方のお手本動画を見ているのでしょうか。
最初は左官名人の久住章さんの動画でしたが、今は札幌にある中屋敷左官工業の3年目になる左官職人さんの動画を見せています。素直でわかりやすい塗り方という点に加え、研修を受けている人たちも「2~3年後にはこんな風になれる」と身近に感じてもらいやすいのがポイントですね。
――具体的な目標を目にして学べるのはいいですね。これは御社のみで行っているトレーニングですか?
いいえ。このトレーニング自体は、中屋敷左官工業の中屋敷社長が考案し、日本左官業組合連合会青年部のメンバー等で活用していますので、他社でも実施しています。
塗り壁トレーニングは自社だけで行わず、左官会社8社で作った東京左官育成所という訓練校にて数社合同で行っています。弊社は毎年数名の社員を採用していますが、他の会社はそうじゃないところもあります。
複数社で集まって1カ月一緒に過ごすことで、会社は違えど同期ができます。すると、辛くなって離職をするか迷ったとしても、同期と話し合ったり、愚痴を言い合ったり、飲んだりすることで踏みとどまることができる。結果的に離職率を下げることにつながるのです。
それに、ある程度人数が集まって切磋琢磨することで、仕事への意識が高まるし、熱量も上がっていると感じています。
――新しいトレーニング制度や採用について、古くからの職人さんから反発などはありましたか?
ありましたね。長い下積みを経験して一人前になれる業界なので、新人がコテを握る「塗り壁トレーニング」はありえないと言われていました。でも、トレーニングを積んだ新人が現場に出るようになると、「今までより新人が役立つようになった」と、結果的に喜ばれたんです。
まったく知識がゼロの人と、トレーニングを経た人では、現場を見る視点が変わってきます。どうすれば塗りやすくなるか、どういう手順で行うのがスムーズなのか、基礎を経験してから現場に踏み込んでいるので、以前より気が利くと感じてもらえたようです。
さらに、事前に学んでいる分、以前よりも教えやすいし、新人も覚えやすい。結果、早く役に立つ見習いが生まれるという好循環が生まれました。
昔ながらの師弟制度でも、時代に合わせた工夫を
――「塗り壁トレーニング」後はどのような研修を行うのでしょうか。
半年間、一人の先輩について現場で仕事を学んでいきます。この制度は7年ほど前から始めました。以前は、いろんな人について学ばせていたのですが、人によって工程が違うため、新人が混乱してしまって。そこで、一人の新人に一人の先輩がつく形に変えました。
この「半年間」という期間にもこだわりがあります。以前は弊社の見習い期間である4年間、同じ先輩についてもらっていたのですが、人というのはどうしても相性があります。半年は「もうちょっとこの人と働きたい」と未練が残る長さであり、相性がいまいちでも乗り越えられる期間なのです。その後は現場でチームに交じって、ほぼ実戦の仕事をします。
さらに、ブラザーシスター制度というものもあります。
――それはどういった制度でしょうか。
5年目以上の先輩が、複数の見習い社員の相談役となり、一緒に飲み会でお話するなど気軽に交流できる機会をつくる制度です。最初は大手企業での取り組みを真似してはじめたのですが、先輩と新人が1対1では、相性があわないときに何も聞き出せず、形だけで終わってしまうことがありました。
そこで、少数の先輩と大人数の後輩という組み合わせに変えました。今は、大人数ゆえにワイワイと声が出しやすくなった、話しやすくなったという声が上がっているようです。
――独自の研修制度を整えたことで、定着率以外のメリットはありましたか。
昔は、技術は考えたり習得した“人”に付いたりするものでした。ある技術の習得ができれば、できるようになった“人”のもの。技術を広めるという文化がありませんでした。
しかし、今は、年4回開いている「社内研修会」を通して、技術を「教え合う」という文化ができています。これはもともと教え合う文化がある「塗り壁トレーニング」世代が育ってきたからこそのもの。他の世代にも教え合う文化が広がってきたというメリットを感じています。
人材育成で大事なのは「ひとりぼっちにしない」こと
――「同期の仲間を作る」「仲間で教え合う」など、従来の上下関係だけでなく、横のつながりを作ってこられたのが印象的です。
そうですね。我々が人材育成の中で、一番大事だと感じているのは「ひとりぼっちにしない」ことです。孤立すると、どうしても居づらくなってしまいます。だから、採用するときは1人ではなく複数人にするようにしています。複数人で一緒に取り組めば、互いに励みになりますし、トレーニングにも熱が入りますから。
また、支え合う同期の存在だけでなく、弊社では定期採用をすることで、新人として入った人も先輩になれるようにしています。ずっと後輩なしでの下働きはつらいもの。やはり誰でも後輩が入ると「ちゃんとしなくては」と意識が変わりますね。企業規模にもよりますが、定期採用しているのは業界でも珍しい方だと思いますよ。
おかげで今、社員の年齢層のバランスも良くなってきました。以前は50代以上が多かったのですが、今は4割ほど。残りの6割は40代以下です。
――いい循環が生まれていますね。採用や人材育成について、今後の目標を教えてください。
入社から半年間の離職率という課題は、クリアできたと思います。今後は、もっと先の5年、10年後も働いてくれる高い定着率を目指せるような育成方法を考えたいですね。
また人数が増えていく分、仕事の数を増やす努力も必要です。ショールームなどで積極的に仕事をPRして、会社の成長につながる事業を展開していきたいですね。
<取材先>
有限会社原田左官工業所
代表取締役社長 原田宗亮さん
TEXT:ミノシマタカコ
EDITING:Indeed Japan +ノオト