米国で1カ月に400万人以上が離職する「Great Resignation(大退職時代)」と呼ばれる社会現象が起き、欧州でも同様の動きが広がっています。日本にもその流れがやってくるのか大学ジャーナリストで若者の就職活動やキャリア構築に詳しい石渡嶺司さんに、米国で起こっている現象をひもときながら日本への影響についてお話いただきました。
欧米では、コロナ禍で大量の離職者が
――「大退職時代」とはどのような現象でしょうか?
大退職時代とは、数年前から欧米で自発的な離職・退職者が増え、コロナ以降さらに顕著になっている社会現象のことです。米国では2021年11月に、自主的に会社を退職・離職した人の数が過去最高の450万人を記録して以来、2023年3月にも記録を更新するなど、400万人以上の高水準が続いています。
この背景の一つとしては、新型コロナウイルス感染症の蔓延を受けてリモートワークなど感染を避ける働き方が増え、リモートワークができない接客業や工場で働く人たちが感染リスクへの不安や不満を募らせた側面があります。
不足した従業員を確保するため、企業は相次いで賃金増加や福利厚生の見直しを行ったのですが、これが離職者増加に拍車をかけることになってしまいました。つまり、多くの企業で給料が上がり、福利厚生が良くなったため、よりよい収入や待遇で働きたいと職を転々とする人が増えたという流れです。
しかも、欧米では日本以上に政府がコロナ対策として国民に手厚い現金給付を行ったため、一部の労働者は仕事を辞めても急いで転職しなくてよい状況となりました。好待遇の企業が増えるなかで仕事をゆっくり見極める余裕が生まれたことが、離職者・求職者の増大につながっています。「これまで長時間労働で働きすぎたので少し休みたい」と考える人も多いそうです。
また、欧米の場合は、賃金が上がってその分が物価に上乗せされ、物価が上昇しています。こうした経済の循環が、そこまで社会不安をあおっていないということは、それだけ欧米の経済基盤が強い証拠とも言えるでしょう。
日本では、大退職時代は到来しない?
――日本でも欧米のように転職者は増えているのでしょうか?
確かに、日本でもコロナ禍以降に転職希望者が増加傾向にあります。IT系を中心とした専門職や、アフターコロナで需要が戻ってきた飲食、旅行、観光などといった業界の求人が若年層を中心に増えているのです。
しかしながら、欧米ほど転職者は多くない印象です。私は日本にも大退職時代がやってきたとは言いにくいのではないかと見ています。なぜかというと、いま日本の経済は欧米のように良くはなっていないからです。
政府は賃金の引き上げを掲げ、一部のグローバル企業は給料の大幅アップを実施するケースもありますが、それは世界で生き残っていくために必要な対策だからです。国内市場だけで勝負している企業が、日本の景気が良くなっていないなかで給料の大幅アップをするのは、なかなか難しいでしょう。
このため、転職希望者はさほど増えず、多くの企業で転職採用が進まない、さらに景気も良くなっていないので新卒採用が難しく人手不足が続く状況に陥っています。転職者が増えて労働者の賃金が上がり、物価も上がるという欧米とは異なり、このままだと日本では物価が上がる一方で賃金は上がらず、転職希望者も増えないため、人手不足になるという悪循環に陥る可能性も考えられます。
――欧米ほど多くの離職者が出ないと考える理由は、日本は経済情勢が大きく異なるからなのですね。
経済的な理由の他にも働き方の文化の違いがあります。たとえば、職務内容を明確に定めて雇用契約を結ぶ「ジョブ型雇用」がその典型です。今、経団連が新卒採用でもジョブ型雇用を推進していますが、私は日本では定着する可能性が低いと見ています。
というのも、ジョブ型雇用はあくまで労働者がスキルを有していることが大前提です。欧米の場合は、学生時代に半年〜2年ほど休学して長期間のインターシップに参加し、業務経験やスキルを身に着けます。このため、新卒であってもジョブ型の採用が成り立ちます。しかし、日本の学生のインターシップは1日から数日間と短い期間であることが大多数です。となると結局は、現在のスキルではなく将来的な活躍に期待したポテンシャル採用(見込み採用)になり、欧米とは明らかに様相が違ってきます。
そもそも欧米では給料をアップさせたい、よりよい仕事に就きたい場合は転職するという文化があり、終身雇用が根強い日本とは働き方に対する考え方が根本的に異なります。その点からも、欧米で起こった大量離職と同じ現象がすぐに日本でも起きるとは考えにくいでしょう。
ただし、若い世代の転職は増加傾向に
――欧米ほどではないとはいえ、日本では若年層の転職者が増えているというデータもあります。こうした若い世代の動きをどう見ていますか?
確かに、総務省の労働力調査によると25~34歳の転職希望者の就業者全体に占める割合は、2013年から2019年まで17~18%程度だったのが、2021年7~9月は21.5%と増加しています。若い世代は、仕事がきつい、もしくは仕事が緩い、いずれの場合も「合わない」と感じたら転職する層が増えつつあります。
それから、コロナ禍を経て非対面での採用活動が増え、就活中に企業をじっくり考える時間が減ったことで企業とのミスマッチの確率が上がり、会社を辞めて改めて就職活動をしようという第二新卒が非常に増えているという傾向があります。
――若い世代の離職を防ぐため、また若い世代の人材を獲得するために中小企業にはどのようなことができるでしょうか?
有効な施策は「賃金を上げる」「福利厚生を見直す」、そして「従業員満足度を引き上げる」ということになります。従業員満足度が上がれば人材流出の機会が減りますし、転職市場においても従業員満足度の高さをアピールして有利な立場に立つことができます。
第二新卒への注力と奨学金返済支援制度の導入を
――企業が取り組むべき施策について、詳しく教えてください。
具体的に2つ提言したいことがあります。(1)第二新卒への注力(2)奨学金返済支援制度の全社員、もしくは転職社員への適用です。
――まず、「第二新卒への注力」についてお聞かせください。
そもそもいまの新卒採用はレッドオーシャン状態で、ダイレクトメールを打ってもなかなか返事をもらえず、採用担当者が「どこに行けば学生に会えるのでしょうか?」と悩むくらい新卒採用は大変です。
その点、第二新卒の学生は狙い目です。というのも第二新卒の学生は、新卒予定の学生よりも意識やモチベーションが非常に高い状態にあります。一度は望んで入社した企業を退職することになった第二新卒は、退職に結びつく事情や企業の実態を経験している分、企業、業界に自分が合うかどうかの見極めが慎重です。第二新卒市場で探せば、新卒市場で探すよりも自社を理解した上で就労意欲のある人材とマッチングする可能性が高まるかもしれません。第二新卒に特化した採用活動に力を入れてみることも良いのではないでしょうか。
――「奨学金返済支援制度の適用」は、どのような施策でしょうか。
日本学生支援機構(JASSO)の奨学金支援を受けた大学生が、社会人になってから奨学金を返済する際、返済額の一部もしくは全額を企業が肩代わりする制度です。これは2012年に大手企業が導入して以降、2017年頃から導入企業が増加していきました。中小企業支援の観点から自治体でも取り入れるところが増え、指定する企業や業界に就職すれば、その従業員に対して自治体が規定の金額を支援しています。その数は2022年時点で26府県に上ります。
当初は、企業や自治体から個々の社員に給与に上乗せするかたちで直接支給していましたが、所得税や住民税など社員の税金の負担が増えるデメリットがありました。2021年からは日本学生支援機構に直接振り込む形になったことで非課税扱いになり、さらに企業としても法人税に損金算入が可能なので、より支援しやすくなっています。
さらに踏み込んだ提案ですが、私としてはこの制度を転職者に適応することをおすすめします。新卒市場では、奨学金返済支援制度を導入する企業が非常に多くなっていて、既存の在籍社員に適用しないのは不公平になるため、在籍社員にも適用する企業も一定数あります。ただ、転職者への適応の前例がほぼないので、実施すればかなり大きなアピールポイントになるでしょう。支援の対象を広げることで企業側の負担増を懸念されるかもしれませんが、奨学金返還で困っているのは特に若い世代です。30代・40代は支援額を少なくするなど年齢で差をつけるという工夫も取り入れながら導入してもよいのではないでしょうか。
また、給与とは別の福利厚生だという観点から支援額を非公開にしている企業も多いですが、それはもったいないと感じています。給与と同じ性質のものだと捉えて、金額を公表した方がアピールになるのではないでしょうか。費用はかかりますが一人でも多くの人材を獲得できる期待値を考慮すると高い投資ではないと考えます。こうした制度を設けることは企業のイメージアップにもつながるので、ぜひ検討してみてください。
<取材先>
大学ジャーナリスト 石渡嶺司さん
ライター・大学ジャーナリスト。大学、教育、就職活動などをテーマに『ゼロから始める就活まるごとガイド2025年度版』(講談社)、『大学の学科図鑑 改訂版』(SBクリエイティブ)など著書多数。
TEXT:岡崎彩子
EDITING:Indeed Japan + 笹田理恵 + ノオト